masato日記

やっていきます

水曜日

仕事やっていくことについて。取り組みの方向を、生存のためと充実感を得るために分けてみる。まず生存とは、ご飯を食べていくため。心身が健康に過ごせるように衣食住をまかなえること。でも期待するのは衣食住だけではない。仕事そのものを楽しみたいという気持ちがある。自分が実現したい、おもしろそうなどと感じることをどうせならやっていきたいとかいう気持ち。自分の価値観と仕事の内容が調和していて、なおかつ労働環境が十分によければ(あるいは致命的に悪くなければ)、充実感をもってはたらけると期待できる。

個人的に頑張ってやっていこうとするのは、生存能力を強化したいからだ。そうすれば、いわゆる食いっぱぐれがなくなって、安心して暮らせるようになる。安心感は大きな価値だ。ゆとりがもてたほうがたくさん笑っていられるんじゃないかとおもう。ギリギリの心理状態で戦っているみたいな状態は避けたい。働き方の好みのスタイルは人によって違うだろう。自分はできればゆったりとした気持ちでいたい。好戦的な感じは疲れるともおもう。簡単にいうと、手に職をつければ食い扶持に困らなくなるだろうから、人生の心配が減るだろうね、という気持ちで生存能力を強化したいということだ。

繰り返しになるが、生き延びることを主な目的として生きていくというのは辛い。自分にとって軸となるのは、多めに笑って、ゆったりして、くつろいで生活していけるような働き方、というところになる。そのために仕事をしていく。 

自己啓蒙が盛んになっていて、淘汰の圧力がいま強い。圧が強く感じる理由のひとつには、僕が不安を煽られやすい性格だからだろう。「(何か勇ましいことあるいは金になりそうなこと)をやっていく必要がある!!さもなければ(何かわるいこと)だ」的論調になんだかんだで影響されてしまうところがある。まあ、本当に競争が激しくなっているという面もあるんだろう。とにかく、そういう風潮のなか、あちこちでわあわあ言っていて、いちいち心が動かされているとすごく疲れてかなわない。自分がどうしたいのかを知ることがとても大切になる。またこの気持ちは変化していくものでもあるから、悟ったら完成みたいな話でもなく、自問自答をつづけていく姿勢が求められるとおもっている。

火曜日

今日は疲れたので帰って飯を食い、だらだらしてそのまま寝るというシンプルライフを実践する。それ以上に大切なことが何かあるのか(いや、ない)、という気持ち。

月曜日

ストレスをあえて浴びることで心身が活性化することがある。元に戻ろうとする反動なのか。ダレて来たらペインを身に受けるとのちに晴れやかになるという興味深い現象。

がんばりたくないという気持ちはずっとある

「頑張る」というアイデアが嫌いで、可能ならまったく頑張らないで生きていきたい。人には言わないが、おもってはいる。そんな自分はしかし実際には自分なりにそれなりに「頑張って」生きている。この「頑張る」というアイデアについて、かなりこじらせているようで、嫌いなくせにずっと頑張らないままでいると、「これでいいのだろうか??」と不安で仕方がない。この、「これでいいのだろうか??」を背後で駆動しているものの正体は何。それは淘汰されることへのおそれか。何に?どうやって? ともかく、淘汰されるのは嫌だ。だけどいつ滅ぼされるのかと脅えながら暮らしていく方がもっともっと嫌だ。それくらいなら、嫌々でもやってしまったほうがずっと簡単である。人が嫌々がんばってるのはそんな訳からなのではないかと想像している。たがしかし、おそらくは残念ながら、これは心的態度としてうつくしくない。だから口外せず心の中にしまっておく。自分は、自分にとっての「頑張り」のもっとよい落とし所を求め続けている。「頑張る」に替わる表現を。やりたいとやりたくないで板挟みになりながらも取り組んでいく、その姿勢をさわやかに表現する言葉があるべきじゃないか。

金曜日

f:id:masatoz:20170923220509j:plain平日、電車で片道2時間くらいの山のなかへ一泊二日のひとり旅行がしたい。洗面用具と仕事道具だけ持って、手ぶらで泊まれるロッジにいく。いつもと違った時間が過ごせそう。最高に平和にひとりを満喫できそう。インターネットがあればできる仕事についたらやってみたかった。

2時間くらいで行ける距離というのが大切。遠出している感を味わいたいので。1時間でいけてしまうと、、どうなのかな。近所、という感覚が非日常の特別感を損なわなければ大丈夫だけど。場所さえよければむしろ近いほうが良かったりして。まあ、やってみないとわからない。