masatoの日記

やっていきます

奈良美智(なら・よしとも)展に行ってきた

顔がでっかくて、大きな目がはなれてついている顔の少女で有名な画家、奈良美智。多くの人がこの絵をどこかで見たことがあるのではないでしょうか。

先日、地下鉄のホームで電車を待っているときのこと、広告物のフレームに入っていた展示会のポスターにあの少女を見つけました。豊田市美術館の展示会のポスターです。どこかこころ惹かれるものがありました。

今日、ちょうど豊田市の実家に帰省していたついでに、いい機会だったので、豊田市美術館まで行ってきました。展示会のタイトルは「Yohitomo NARA for better or worse」。展示会のはじめの部屋の入口にあるまえがきのなかには、この副題に込められた意味が書かれていました。

「どのような運命になろうとも」

なんて包容力のある言葉なんでしょうか。昔、あの少女に対して感じていた、単なるおしゃれでカワイイおんなのこの画というイメージは、この言葉を目にして、一瞬で消え去りました。あの独特な少女は多くの作品であらわれるのですが、実際、彼女たちは単なるかわいい存在ではありません。

にらみつける目、手に持ったナイフ、口元からのぞく牙。

人を安易に近づけさせない、反抗の意思が伝わってました。

それと、彼女の顔は、猫に似ている。顔の大きさに対する目の大きさの比率、目の離れ具合、鼻の穴のかたち、口の大きさと牙、そういったものが。

展示されていたのは、絵のほかに、少女の立体オブジェと、かわいらしいお家のでっかいオブジェもありました。お家に入るには別途整理券が必要だったので、入りませんでしたが、カップルとか親子づれの方々は楽しめるんじゃないでしょうか。

展覧されていた作品は、1987年から2017年にかけて、総数100余点。美術館の1~2階にまたがって展示されていて見ごたえ十分でした。個展にくると、長いスパンからみた作家の雰囲気とか思想とかが伝わってくるのがおもしろいですね。

ちなみに、「奈良美智」は「なら・よしとも」と読みます。(私はチケット売り場で自信ありげに「ならみちを一般で」と間違えました。 )

あと、同時に森千裕の“omoide in my head”と題した個展もやっていて、こちらもよかったです。"omoide in my head"とみて、すぐにあのロックバンド Number girlが思い浮かぶのは私だけではないでしょう。顔のない絵は、アルバムアートワークに似ていました。Number girlと関係あるのかな?絵、オブジェが展示されていたのと、ビデオ作品も上映されていたのですが、これが超シュールで脱力系。自宅でぼーっとみたら最高!な予感がしたので、買って帰ろうと売店を探しましたががありませんでした。こちらは残念。

展示会は両方とも9月24日(日)までやってます。

おすすめです。

企画展 奈良美智 for better or worse: http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html

常設特別展 森千裕 - omoide in my headhttp://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/morichihiro.html

マインドマップのワークショップにいってきた

マインドマップの書き方をまなびにワークショップに行ってきました。

テーマを「マインドマップを通した自己理解」と題しておこなわれた教師塾さん主催の第4回目のイベントでした。 講師は、長谷川 厚一郎(はせがわ こういちろう)さんでした。

マインドマップ自体は、数年前に自己啓発系の本にハマっていた頃、知りました。 たしか勝間和代さんの本だった気がします。 そのときいくつかマインドマップを書いてんですが、なんとなくしっくりこなくてそれきりになってました。 分かりやすい!って言われてる割りには、あまりわかりやすく思えなかったんですよね。
今回は、数年経ってからもう一度やってみたらまた違う感覚がもてるかも、という期待から参加してきました。

で、結果は、期待した以上に「マインドマップ使える!」って感じです。
参加してほんとよかったです。

こんなの書きました。

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お題は「快適な部屋づくり」です。

マインドマップの特徴として、単語をマッピングしていくという点があります。
キーワードから連想する別のワードを、同一線上または分岐させた線上にのばしていく感じです。
書いた人(=ワードのつながりを連想した人)には自明であっても、他人にもよくわからんというケースがみられたのは、このせいでしょう。

マインドマップは、たとえば、自分用にアイデアをまとめるという使い方に向くようです。他人に見せられるような整った形にする前段階で、マインドマップブレインストーミングできます。
「文章で表現すると膨大になることもマインドマップにすれば簡潔に描ける」という講師の長谷川さんの言葉からも、マインドマップがブレストに向いてそうだということがわかります。

普段の作業でやるようなメモ書きをマインドマップで描いてみたところ、なかなかわかりやすく表現できました。単語をマッピングしていくことで自然と要点が絞れてくるのがよいです。

寿司屋で注文を忘れられることがおおい

お寿司が好きです。だけど寿司屋は苦手です。なんでかというと、緊張するからです。職人さんとの距離感がよくわからず、挙動不審な感じになり、注文するのに気疲れしてしまいます。それなのに、寿司は注文して、食べて、注文して、食べて、というふうに繰り返すことが多いので、まあ大変。その点でお持ち帰り寿司は楽ですが、店内で出してくれるお寿司のほうがうまいんですよね。

寿司屋は、カウンターの店と回転寿司がありますね。前者は2年前の誕生日に行きました。近所の店で、回転寿司では見かけないめずらしいネタを出してもらえました。値段はたしか10貫で1800円くらいでそんな高くなかったです。まあ、緊張します。

カジュアルさでいえば、断然回転寿司ですね。回転寿司も近所の徒歩5分圏内にありまして、1皿100~600円くらいの寿司が食べられます。ただここの店、回転寿司なんですけど、ネタが悪くなるのをさけるためか、基本的にベルトに寿司がのってないです。だから、職人さん(お寿司握ってるひと)に注文しない寿司が食べれません。注文すると職人さんが持ってきて手で渡してくれます。寿司が回ってない回転寿司。そんなわけで、こっちも、緊張します。

で、寿司が回ってない回転寿司の方なんですけど、混んでるときはお客さんの数に対して職人さんが少なくなります。注文が多いとフル回転で握ることになるわけで、忙しそうになりますね。とっても忙しそうなので、すごく声を掛けづらいです。自然と目線は握ってる手の方に向いてますから、通る声出さないと、聞こえないだろう…おれの声通り悪いからな…とかモジモジしながら、目が合うのを待つことが多いんですが、全然目が合わない。仕方ないので、最大限、通る声かつ落ち着いた声をだして、えいっと注文します。

で、なんとか注文するんですが、私の注文はけっこうな割合で忘れられまして、先日記憶を探って計算したところ、約8%と出ました。これはけっこう高頻度だと思います。といっても、完全に忘却されるわけではなくて、他のお客さんの注文を先に出した後、「あ、やっべ」みたいな顔をして私の注文を思い出してくれます。後回しになるわけですね。

落ち着き払っておとなな感じで注文できれば、きっと後回しにはされないんだろうなーと思うのでした。

 

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スーパーでの食料調達における費用対満足度について

毎日スーパーの総菜にお世話になっています。
突然ですが、食事にかける金とそこから得られる満足度は比例しないことに思い当たりました。私の場合、高い食べ物を買うときは、その費用に見合う満足を期待しています。ですが、金を出しただけの満足が得られているかというと、どうもそうでもないようです。(スーパーマーケットの話です。)

たとえば、最高グレードの寿司1200円と今日の夕食を比べてみるとどうなるか。1000円以上のスーパーの寿司詰めには、はまち、まぐろ、あじ、穴子、サーモン…などなどいろんなネタが割と気前よく入ってて、ぜんぶで10貫くらいですか、見た目的にも量的にも満足感があります。

一方、私の本日の夕食は合計およそ300円ほどでした。スーパーで買った半額の穴子巻き、昨日の残り物の塩焼き鮭、オクラ、ミニトマト、残り物のおにぎりひとつ、そして日やご飯。豪華さは全然ですが、ふつうにおいしいです。それなりに満足感があります。

さて、この両者は値段にして約4倍の開きがあるわけですが、満足度の差はというと、正直2倍以下でしたね。上の例でいえば、寿司はうまいけど、オクラと塩焼き鮭も十分いける、ということです。

すくなくとも普通のスーパーで食料を調達する場合、私の感覚は以上のようになります。ただ、スーパーじゃない別の場所であれば、話は変わると思いますが。

結論。スーパーでは手ごろな値段で満足するほうが費用対満足度は高い。そうして浮いたお金でほんとうにうまいものを食べにいこう。

『オンリー・ゴッド』を観てきた

モリモリの暴力描写があるとはいえ、そこそこ安心して見ていられる映画だった。監督が暴力大好きというわけではないことが伝わってくるからだと思う。とにかく、今年みた映画でたくさん血が出てくる作品ナンバーワン。  

 主な登場人物の半分くらいが謎のゴッド的警官によって裁かれ、その多くは永遠に葬られ、あるいは腕を切り落とされていた。バイオレントではあったが、以外と胸糞は悪くない。一種、さわやかさもあった。みんなのタブーを直接に描いている点で。  

 一番ショッキングだったシーンは、処刑された母親の腹部に息子が手を入れる場面。ウワァァ...というおぞましさもあったのだが、母にそこまで執着する主人公のマザコンさ(失礼)に男の哀しみが感じられた。このシーン、学生の時にみた『追悼のざわめき』で、マネキンの子宮に××していたのを思い出させる。

 ところで、本作を制作したニコラス・ウィンディング・レフン監督のドキュメンタリーが伏見ミリオン座で同時上映している。『オンリーゴッド』制作の舞台裏を描いた『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』だ。実はこちらも先日観てきた。撮影は、監督の奥さんのリブ・コーフィックセンがやっている。カメラマンが奥さんであるせいか、カメラと監督との距離が近い。かなり素の様子が出ているようにみえた。「これ、他人に見せていいのか」と観てるこっちがハラハラする場面もちらほら。  

 バンコクでの撮影期間の合間にこのドキュメンタリーは取られていて、監督がくよくよしているところや疲れている様子から本作に対するかなりのプレッシャーが伝わってきた。一凡人のわたしにとって、こんなに世間から絶賛されている人であっても、自信が無くて気弱になるんだなーと珍しいものを見た気がした。また、身近な人にカッとなってしまったりするシーンもあった。人間が怒ったり落ち込んだりするのは当たり前といえば当たり前、だが芸能界の人達の“パーフェクト”な印象とにギャップがあった。

 レフン監督は前作の『ドライブ』が評判みたいだから、こっちも機会があれば観てみたい。

 

 

 

休日の長い昼寝の後悔

休日を寝て過ごすと、なんだか後悔してしまう。昼食後、部屋にいてその後の予定がないとき、ちょっと休憩するつもりで横になったところ、そのご3時間くらい寝て過ごしてしまうということを、最近またやるようになってきた。その時々で程度は違えども、「やってしまった」という感じでちょっと後ろめたくなる。まるで休日が理不尽に奪われてしまったかのような気持ちになるようだ。

休日の長い昼寝はここ数年で徐々に減ってきており、最近は安定してほぼなくなっていただけに、いま復活のきざしがみえてきて心配している。

もちろんほんとうはその時間は奪われたのではなく、昼寝するのに使っていただけ。ある意味で自分がやりたいことをやったということにすぎない。眠いから寝たというわけ。

そもそも、休日を寝て過ごしたからといって別に後悔しなくてもよいとは思う。思うけど、実際はしてしまうとこがむずかしいところ。

ちょっとのあいだ、あれこれ思ってみたが、結局、眠いときは寝るのが一番だという結論に落ち着いた。開き直って(?)どんどん寝ていこうと思う。昼寝できるだけ平和だ。

ところで、この現象って名前付いてないんだろうか。確認したことはないけど、ひとによってはけっこうやってそう。