masatoの日記

やっていきます

勘違いの最小単位は3人

わたしとあなたではふたり。
それぞれ得意なことがあって、お互いにそれをほめあっていたとします。
ふたりは満足でした。
新入りがくわわり、さんにんになりました。
新入りはわたしが得意なことをほめてくれました。
もといたひとと新入りがほめてくれるので、わたしは有頂天。
自分がすごいような気がしてきます。

「勘違い」の最小単位は3人。
2人では足りない。相手が絶対的存在ではないことがわかってしまうから。
でも、もうひとり他の人が肯定してくれると、他の世界もこういうふうなのかと思ってしまうところがある。
特定の組織だけに所属していていると、ほかのひとたちがどんかはわからない。
なんとなくのそうぞう だけ で 「こういう ふう なの ではないか」と おおく の きぼうてきかんそく に 支えられた 想像でものを考える。
ずっと おなじ ところ に いると そういう ふう に なりがちだ。
あたらしい ばしょ で あたらしい かんけい の なか で もう いちど はじめる ことで また まなび はじめることができる。

生活の断片

アパートに帰るとき、隣の隣の部屋に客人が入っていくところだったのだが、その後インターホンがオンのままになっていたので外の通路側のスピーカーから部屋の中の会話が筒抜けになっていた。
横浜の人と電話で「仕事についてもっとよく考えてみろ」という話を20分くらいした。
そうじのおばさんにiPhoneのバックアップの取り方について教えてあげた。
スマートフォンSNSアプリで2通メッセージを送った。
データベース更新用のCSVファイルを30分で編集した。
青年文化交流センターで90分話を聞かせてもらった。
スキャナで手書きの絵1枚をPDFに変換した。
ミルクチョコレートを3切れ食べた。
コンビニで400円の食べ物を買った。
オフィスでコーヒーを3杯のんだ。
スーパーで2000円分食料を買った。
同僚と仕事の会話いくらかした。
スマートフォンで20分電話した。
ヒーターのそばは皮膚が熱い。
ひと言以上話をした人数16名。
算数プリントを10分やった。
椅子に6時間座っていた。
ブログを30分書いた。
30分で車で通勤した。
メールを10通書いた。
30分で車で帰った。
室内が12°で寒い。
歩行距離1km未満。
就寝0時予定。
飲酒量350ml。

悩みとか、悩みとまではいえないものなど。

  1. きのうビール1リットル飲んだので、消化器に負担がかかって疲れを感じる。
  2. 会社に新しい人が入って、無意識に緊張しているのでふだんより疲労感がある。
  3. きのう自転車通勤して、街中をはしって神経を使った疲れが残っている。
  4. お米がなくなったので米屋さんに行きたいのだけれどスーパー行った次にまた出掛けるのがおっくうで結局お米を買えず、コンビニでおにぎり3個買ったら500円くらいして高かったので気が重い。
  5. きょうのブログは何を書けばいいのか考えるが特に思いつかないので、書くことなどそもそもどうでもいいと思ったが、そこまで否定しすぎるのはよくないかもしれない。
  6. 飲酒量が増えてきて、このままのペースを続けていると胃腸が弱ってしまうだろう。
  7. 気分が乗らないときにいくら酒をのんでも全然楽しくならない。
  8. 毎日晩ご飯はなべなのできょうはハマチを入れてみたが、やっぱりブリのほうがおいしかった。
  9. 今週末の昼は何をしようか。
  10. あすの夜は予定があるので、車で出勤してそのまま向かうか、一度帰宅してから行こうか。
  11. 仕事でださなくちゃならないが、出し忘れた郵便物がかばんにはいっている。
  12. 読もうと思って買った本がいくつかあるが、なんとなく読む気がしない。
  13. 職場の席が女性社員に囲まれていて、なんとなく居づらいことがある。
  14. 冬用の防寒着がダウンジャケットとロングコートしかなくて、自転車通勤のときはダウンジャケットを着ていくのだが、今の気温ではそれだと熱すぎるのでちょうどよい保温性能のジャケットがほしい。
  15. なぜマジメと言われるのかについて考えすぎてさらにマジメになってしまう。
  16. 「人に興味なさそう」と複数人に言われたことについて考え込んでしまう。
  17. 職場で他の人の席に行って何かを伝えたり、教えたりするときに、席の人と目線を合わせる床にひざ立ちする人が、なぜそばの空いている椅子に腰掛けないのかが気になってしまう。
  18. 自分はそのひざ立ちをしないので、ひざ立ち派の人から無礼に思われているかもしれないと不安になる。
  19. あのひざ立ちはに特別な意味があるのだろうか、相手に威圧感や無礼感を与えないためとはいえ、やりすぎではないかと思ってしまう。
  20. 前の会社でもひざ立ち文化はあったのだが、他のところでもやってるのか気になる。もしかしたら日本の会社ではオフィスで椅子に座った人と会話するときはひざ立ちするのが礼儀なのだろうか?
  21. ビールをバラ買いするのは単価がかさむので、ケース買いしようと思ってはいるもののいつもバラで買ってしまう。
  22. 日本酒を買いに行こうと思ったが店が水曜定休だった。
  23. いつも晩酌しているときょうも飲まなければならないような謎の強制感がある。
  24. コンビニの栄養ドリンクコーナーにあるアルコール代謝力アップ系の飲み物が10種類くらいあって、どれが最高なのか判断できない。
  25. 会社の社内メールで枕詞として「お疲れ様です」を使う人が9割5分、その他枕詞なしの比率。自分は枕詞なしにしたいけど「お疲れ様です」って言わないと無礼に取られるかもしれないので、疲れていようがいまいが関係なく常時「お疲れ様」と言わなければならない。
  26. 「お疲れ様です」を書かない部長がいて、その部下がきょう「お疲れ様です」を省略したメールを送ってきてなんかうれしかった。
  27. 会社によって敬称の使い方が全然違う。ヒラ社員同士で「様」をつけることもあれば、上司でも社長でも「さん」付けのところもある。
  28. 語尾の敬称も様々であって、「お願い致します」とか「お願い申し上げます」っていう人もいれば、「お願いします」ってカジュアルにいう人もいる。個人的には「お願いします」で十分だと思う。
  29. Poem a Dayというほぼ日刊でポエムを配信してくれる無料のメルマガがあって読むのを楽しみにしている。
  30. コーヒーを飲み過ぎると神経が高ぶりすぎる。コーヒー過敏症ではないつもりだが、カフェインの取り過ぎには向いていない。
  31. きのうはビール5缶のんで楽しく酔っ払ったが、そんなこと書くのは大人としてはしたないという気がするので、大きな声で言えない。でも自宅で飲んだビールとしては自分史上最多の量だったので、よくわからんけどめでたい。
  32. 1本150円の大根と200円の大根があって、高い方が大きかったし、愛知県産だったので地産地消でよいかと思い、50円高いだいこんを選択した。鍋用に切るとき、店で見たよりもかなり大きく感じた。この先2日間はだいこんががんがん食べていく。

自転車通勤した火曜日

久しぶりに自転車で通勤してみた。普段は車通勤だ。約8キロはなれた職場まで約20分の距離。布団からでて、支度して、車に乗ると、ひとつも息を乱すことなくスムーズに移動できる。車は最高に快適だ。だが、快適すぎて不安になってきた。車はプライベート空間であり、他の移動手段にくらべてノイズが圧倒的に少ないから、コントロールできすぎてしまう気がした。もっと雑多なものに触れたほうがよいのではないのか?と思った結果だ。それに、運動すると何か元気になれそうじゃないか?だから自転車で行こう、ってなった。

実は最近、自分の感情がだんだんと硬直してきていて、起伏が乏しくなってきているかも、このまま生きた屍になるのかも、と不安になることがあった。そこで、運動すれば感情が強制的に動くだろうと思いついた。良い方か悪い方かは別にして、運動すれば気分は変化する。

わたしにとって片道8キロを自転車でいくのは、割と体力を消耗する。街中を走って行くため、朝、通勤する人の群れ、中学生高校生おばあちゃんおじいちゃん、それぞれバラバラのスピードで移動する人々をよけつつ、交差点を右折車、左折車に注意して渡ったりを連続して進んでいくことになる。これがとても疲れる感じ。神経が消耗する感じ。

なので、職場についた時点でわたしはおそらくその日の体力リソースをけっこう使い果たしていた。その証拠というか、昼過ぎから夕方にかけて、オフィスの環境ストレスに対抗しうるエネルギーがすでに枯渇しており、その場にただ存在しているだけで気力が失われていくような状態だった。ドラクエでいえば、紫の毒沼を歩いている状態だ。そして帰宅後、30分くらい体育座りで放心するくらいの疲労度となった。体力を使いすぎるのはあぶない。

精神的には消耗した感が強かったけど、身体はいつもよりよく動く感じがして、よかったこととしんどかった面がある。自転車通勤は週3くらいを上限として、ちょくちょくやるのがよさそうと思った。で、運動による意識変容は予想通りあった。からだを動かすと気分が変わるのおもしろいね。

食事コンロトールと体調ハック

食生活をコントロールすることで体調を改善するという考え方がある。何がからだによいのかという視点で食事を組み立てるなどする。

2年ほど前、脱断水化物の食生活をした。それで何が変わるのかというと、脂質の量がすごく増える。ごはんとかパンのかわりにバターとかココナッツオイルを食べるということをやる。人間はじつは油分を代謝してケトン体とかなんとかを合成することができ、それを燃料にして生きていくことができる。専門家筋によれば、ケトン体は炭水化物由来の栄養よりも燃費効率がよいのだそうだ。たしか、脳が使える栄養の形態に代謝するまでのコスト(=体ががんばる量)は、脂質は炭水化物のそれの1/3らしいのだ。そんなことが書かれた本を読み、自分をグレードアップできそうな予感を感じてしまったので、さっそくやってしまったのだった。

Amazonで本ですすめられていたココナッツオイルを買って、かなりハイペースで炭水化物をココナッツオイルに置き換えていった。1月後には、油分の比率がやたらと増え、アボガドとかサーモンばっかり食べていた気がする。本にはちょっと書かれていたが、急激に脂質の摂取量をふやすと、吐き気がする。朝、気持ち悪くてゲーゲーしていたのはそのせいだ。あと、ケトン体というのは独特の匂いがするようで、おしっこがいままでかいだことのない匂いを放つようになる。吐き気と異臭で、けっこう不安になるのだが、そこは「これは好転反応なのだよ」というおきまりの文句でなだめてやればOKだ。

最終的に自分は、脱炭水化物生活によってスーパーにはなれなかった。本によると、ケトン体で活動している人間はわずかな食糧だけで数十キロ走り続けたりしていたのだが、食生活を変えただけではムリだった。

あと、そこまでもうグレードアップしたい欲求がなくなった。わたしが影響を受けた本は『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』と『ジョコビッチの生まれ変わる食事』の2冊だった。ともに第一線で戦う人物によって書かれており、戦士の視点で書かれている。戦士向けなのでその覚悟がある人が実践するとよい内容になっている気がする。ゆるくいきたい人は、関係ない本だ。わたしはゆるくいきたい方になったので、縁がなくなった。

脱炭水化物の論点では、炭水化物の悪い点ばかりが強調され、そのよい点は無視されている。わたしは、炭水化物断ちをしてみて、その良さを身でもって知った気がする。炭水化物には、きもちをリラックスさせる効果があるのだ。ふだん炭水化物をつねに摂取しているとこのことに気づかない。ところが、一度ほとんど摂取しない状態になると、リラックスするのがむずかしいと感じるようになった。常に気が立っている感じだ。それで、夜に眠るのが難しくなった。炭水化物をとると脳がほわーんとゆるむ感じがして、リラックスできる。だから常に炭水化物をとっている人は、気づいていないだけで、常時「ほわーん」となっているのだと思う。

わたしは戦士ではないので、いまは炭水化物をがっつり食べたり、酒を飲んだりしてきもちよくパフォーマンスを低下させているのだが、それで十分だ。それで十分なのは、きっと環境に恵まれているからに違いない。

気分よく淡々とやっていきたい

人間はやはりできることしかできないから、できることだけやればいいだけの話
(落合陽一郎『超AI時代の生存戦略』)

これを読んで「なるほど、たしかに」と感じた。でもそう思うだけでは不十分だとも思った。あたまではわかっていながら、実践できないことに気づいたからだ。本当はわかってないということである。この言葉にはもっと奥があると思う。

「自分ができることをやればいいだけ」の理由

自分の能力を超えて頑張りすぎると、不機嫌になるのでよくない。無意味に態度が冷たくなったり、攻撃的になったりして、楽しくないし、なによりまわりに迷惑をかける。成長することよりも、機嫌良く過ごすことの方がずっと大切だ。「成長のための取り組み」は害にならない程度でやるべきだと思う。

しかしこれが難しい。

「自分に何ができるか」を正確に判断できない件

まず、自分で自分を判断するのはむずかしいのだ。感情や(あいまいな)記憶などを判断材料とするからだ。まあ、他に何もなければ、頼りにできるはそれくらいしかない。

そうして主観的に決めた「自分にできる何か」は不正確だ。しかも、簡単にブレる。たとえば、FacebookTwitter、その他SNSなどで、だれかの「キラキラ」を目にすると、「わたしも彼/彼女みたいにステキになりたい!」などとなってしまうものであり、もはやわたしが自分で決めた基準などは無力である。「キラキラ」に感染したわたしは、自分が持っていた基準を忘れてしまう。結果、「できることだけやればいい」という境地から遠く離れる。

「キラキラ」には気をつけている。それは、意図的に人にコンプレックスを感じさせ、その欠乏感を埋め合わせるために何かを買うように仕向ける「コンプレックスビジネス」である場合もあるし、そうでなくてもそれで取り乱すようであれば距離を置いた方がよい。なんにせよ、SNSドーパミン系な刺激にそそのかされると、頑張りすぎたりいろいろ過剰なのでよくない。結局、不機嫌になって環境を劣化させるだろう。

過去の自分と比べるという基準

無害で効果的なのは「過去の自分を超える」ことを目指すというやり方だと言われている。他人と比べるのではなく、自分と比べるのだ。そのためにすべきことは、未来の自分が参照できるように今の行動結果を記録することである。

とくに毎日なにかを続けるようにしていると、自分の変化がわかりやすくなるのでよいと思う。続けていれば、少しずつ上達していくものだ。自分の成長を確かに感じられると、そのことがよろこびになって、たとえそれが他人と比べて劣っていたとしても、劣等感はさして感じないことが多い。

昨日の、あるいは去年の自分を超えられるようにがんばる程度で十分なのではないか。

土曜日

師走だ。とくに忙しくないが、世間ではいそがしいことになっているらしい。消費をあおるための文句であふれれていて、うわついた感じだ。今年の年末年始は休みが長いから余計にそういう感じがする。年末はぶり鍋を食べながら、日本酒をたくさん飲みたいと思う。

きょう起きたのは12時半過ぎだった。まだまだ12時間睡眠ができる年齢だということが証明された。さむいと睡眠時間が長くなる。無抵抗のままずっと眠っていることにする。最近の週末はこういう感じだ。

岐阜の「ロマンティク街道」にサイクリングしに出掛けた。14:30過ぎに出発したら到着したのが16時過ぎだった。渋滞しすぎてて、30km移動するのに90分以上かかった。41号線はいつも混んでいる。ようやく学習したので、次はかならず高速道路を走るようにしたい。

今の季節、16時はすでにたそがれ時である。ほぼ日没しかけているなか、車をコインパーキングに止め、積んだ自転車の前輪を装着して走り出した。鵜沼宿駅そばの駐車上だ。
ロマンティック街道はそこから割と近かったはずだった。携帯の電池が切れていて、地図がリアルタイムで確認できない状態だったので、どこでもいいからサイクリングをたのしめそうな道を探して走ることにした。鵜沼駅近くに大安寺川遊歩道(だいあんじがわ)というのがあって、紅葉した木々がならぶ川沿いを気持ちよく自転車で走ることができた。30分ほどすると、完全に日が暮れてきたので、無灯火だったこともあり、帰ることにした。暗いし寒いし、サイクリングどころではない。サイクリングしたいのなら、もっと早い時間に来るべきだと思った。

帰路は、渋滞にはこりごりしたので、高速を使った。そしたら40分ちょっとで家に着いた。名古屋高速は高いがその価値はある。とくに岐阜に行くときは。