masato日記

勉強ノート

「ノーマル」の境界がわからない

仕事中のできごと。隣の家の人から文句(?)を言われた。その時、会社の門の前でちょっとトラックを止めて作業をしていた。

「あなたの会社は、○○にあった近隣の人から評判が悪かったあの会社でしょう」

会社はその人のいう○○地区から引っ越してきた会社ではなかった。そのことを伝えたが、聞く耳を持ってもらえなかった。
その人は、私の言葉を信じられないというより、自分が信じていることを譲りたくないかのようにみえた。話し合いにならなそうだったので、相手の話に形だけの相づちを打ちながら、聞き役に徹した。そのときはクレーム対応の仕事は自分にはできそうにないとぼんやりと思い、とはいえ、相手をなにかしら嫌悪するでもなく、友好的な態度を努めて話を聞いていた。そうこうして3分くらい経ったか、話したいことが話せたからか、気持ちが落ち着いたようで、去ってくれた。結局、ただ話したかっただけなのかもしれない。

 その方はちょっとクセのある人として知られているようだった。その時思ったのは、「でも、程度が極端というだけ」ということだった。自分のことをどれだけ正しいと思うか。だれでも自分が正しいと思いたいんじゃないか。だから、ついつい言い訳をしてしまうのだ。あまりに他人の意見に耳を傾けないことがイケナイのか。たしかに、程度というのは、無段階のようにみえて、ある線を越えると、それだけのために人からラベリングされる原因になるようだ。「隣の家の人」はそれを横断してしまっていた。一方、自分はその境界の手前にとどまっている。何をするとそれを越えてしまうのか、だいたいのところで把握していると思っている。でもこの境界、見えないし、人によって位置が違っている気がする。しかも、それは全然見当外れだっていうこともありそうだ。

 

常識は人や組織次第で変わるから、あまり頼りすぎないようにしようということをこの出来事があって思った。