masato日記

ふだんのにっき

ぼっちが自己表現についておもうこと

自分を人に向かって表現することは、人との関係をもつために必要なことですね。だがしかし、自分には自己を表現すると言うことに苦手意識がある。そんな私はとっくに30歳を越え、まもなく32になろうとしている。

ここでは、自己表現といっても幅広すぎるので、ざっくりと、自己表現=「自分という人間を他人に伝えること」程度の意味として、これについて考えてみたい。ちなみに、何が何でも表現すればよいとは思っているわけではない。普段表現することに苦手意識があって、もうちょっとくらい出した方がいいんじゃないか、と思われる人物がどうやって自己を表現できるようになるか、について興味がある。そもそも、なぜ自己表現がたいせつかとひと言でいえば、それによって他人との関係性が決まるからだ。で、自分をよく表現できれば、自分に合った関係性を他人と持つことができるという感覚を私はもっている。この前提のうえで、それについて考えたことをとりとめもなく書いてみる。

さて、自分が何者であるかということを伝えるには、たとえば、自分が大切にしていることとか、価値観とか、やりたいこととか、を言うという方法がある。これを本心から言えることが大切だとおもうんだけど、全然言えてない気がする。でも、自分にだって一応大切にしている価値観とか伝えられる何かを持ってるはず(相手にとって価値があるかはまったく別だけど)。まあ、そういうことにしておいて、それで、持ってるのに言えないのはなぜかっていうと、きっと、話は単純だ。それは、普段から言い慣れていないからだ。普段やってないことはいきなりやろうとしてもできないのだ。単純だけど、こう考えると表現できるようになるためには、普段からそれをどんどんやっていくことが大切ということになる。ひとつの方針としてこれはアリという気がする。

表現には様々な方法があって、自分の価値観を出すということは、必ずしも口に出して「私はこれを大切にしている」などと言うことではない。自分の感情やエネルギーをに外部に出すことはひろく表現とみなせるとおもう。この意味で、表現をしないというのは、表現するものを持たないというより、むしろ出てこようとするものを押さえ込んでいるということなのではないか。押さえ込んでしまう理由は人によっていろいろあるんだけど、でも、そこは沼なので深入りはやめておこう。(「原因」を分析することが行動につながる場合もあるかもしれないから否定できないけど、あくまでも個人的な感覚でいえば分析的思考から何かよいものが生まれてきたということはなかったので。)

では、抑圧するから表現できないのだとしたら、どうしたらいいのか? これは、とにかく、表現してしまえばいいのじゃないか?とおもう。好むと好まざるかとにかかわらず、いまの自分ができるところからはじめるしかないのだから。そう、まずは実行することが大切だとおもう。実行をつうじて表現していくということ。だれか有名な人も、世界が変わるのは、思考によってではなく、行動によってである、と言っていたよね。

行動ってなにかといえば、思ってることを文章を書くことでも、人に話すことでも、写真を撮ってSNSに投稿することだって、何だって自己表現になる。しかし実際問題として、何かを作ってみると、やっぱり最初は全然できない。で、その出来映えにがっかりすることが多い。世の中には同じ事をやるにしても、ずーっとずーっと上手な人がたくさんいるわけで、そういう人達と自分とをどうしても比べてしまうものだ。それで気落ちして、結局自分の表現を引っ込めてしまいがちなんだけど、でも、そもそもすぐれた表現者になることがはじめの目的ではなかったはずだ。そうではなく、いま自分を表現することに慣れていない人がまずやるのは、たとえ下手くそでみじめであってもその表現を外に出すことだ。それが文章であってもスピーチであってもダンスであっても。それが自分なわけで、逃げることはできない。みじめであっても、そんな自分と折り合いを付けてなんとかやっていくしかないし、今の限界のなかで自分に可能なことを提案するということやっていくことで、その先の自分の人生が生きやすくなっていくという希望がもてる。