masatoの日記

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バカのバージョンアップをしようという話の本をよんだ

通っている美容室の、美容師さんと時折「どんな人が好みなの?」という話になる。しばし言葉を失う。それで、あれこれ考えて、どこか外しているような感覚をおぼえつつ、できるだけ率直に答える。だけど、わかったようなわからないような感じになる。毎回、自分の好みなのにどうしてこうも曖昧なのか、と思う。それで、これからはもっと自分のことを知ろう、などと考える。

さて、千葉雅也氏の『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を読んでいたら、「ウマが合う人というのは、あなたの非意味的な『スタイル』に共鳴している人のことだ」といったようなことが書かれていてた。「非意味的」というのは、ざっくりいうと「こだわり」。で、おおっ。そうか、意味じゃなかったんだ。自己のスタイルに共鳴できるかどうかで気が合うかどうかは決まっていたのか。であれば、自分がいつも好ましいと思う人物像を描くためには、まず自分のスタイル、すなわちこだわりを認識すべし。そうすれば、それにノってきそうな人がまさにその人である。そんなことを思った。

自分のこだわりを客観的に見つめ直すって、地味にめんどくさいし、体力いるけど。

ところで、本の著作者の写真がロックだった。長髪。パンクロックとかビジュアル系なヘアスタイルを彷彿とさせる。「統治から自由になることを目指す」研究をしているだけあって、それにふさわしいビジュアル。

この本は、すごくわかりやすく現代思想理論をかみくだいて説明していると思った。くわえて、思想家の原書を初心者が読み解くのは無理、と一線を引いてくれているのも親切だ。いきなり原典に挑戦して、理解できず、挫折する者が多くいるのだろう。だからまずは、入門書からはじめなさい、と。これは教育者として親切。

本書を読んでいて思ったこと。いまひとつどこにも「ノれて」こなかったという自覚があるので、いっそのこと「来たるべきバカ」に突き抜けるしか道はないのではないか、ということ。「ただのバカ」か「来たるべきバカ」かは、外見からは判別がつかなくとも、自分はそのどちらなのかを知っている。そして、「来るべきバカ」同士は互いをそれと識別できるのではないか。そのような者同士で、「浮いた」語りができたら楽しそうだと想像する。希望として。 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために