masatoの日記

やっていきます

話を聞いていました。こういうことをしゃべっていました。

 

まったく何不自由ない生活。彼女はいないし、金持ちじゃないし、他人と比べて誇るようなものもはなくても、生活していくことには困らない。とくに楽しくもないが、愚痴るほどつらくもない。欲は、そんなにある方ではないと思う。だから、なんとかなる範囲で生活することに不満はあまりない。まったくないといえば違う。もっとモテたいし、ちやほやされたいし、将来は家庭だって持ちたい。だけど、ダメならそれでもいいという気もする。本当にそれを望んでいるのかはちょっと自信がない。

やりたいことは、特にない。だが何もしないわけにはいかないので、ベストと思えるものをするようにしている。それなりに真剣に考えて決めているつもりだ。実現するための方法も考えている。だが、それが絶対やりたいというわけでもない。とはいえ他人には、一応、それがやりたいのだ、というふうに振る舞うことにしている。「これじゃなくてもいいんですが、これしか思い当たらなかったので」というやつは馬鹿正直というのだ。大人は、こういうことを口に出さずに胸にしまっておく。みんなが本当のことをいい始めたら話の収拾が付かなくなるだろう。だから、うまくいくような案配に自然となっているのだ。

他方で、使命に向かって生きている人達がいる。心が読めるわけではないので、あくまでもそう見えるということだ。彼らは、まったく別世界の人達にみえる。何が彼らを動機付けているのだろうか? だが、よくわからない。経験のベースが違うのかもしれない。それとも、自分に真剣さが足りていないのか。欠落を感じながらも、人は人自分は自分でよいというのが持論なので、そこで考えをやめる。割り切ってしまえば、どうとだって生きていけるのだ。

そうとはいえ、欠落感が尾を引いているのだった。まっとうな人間なら使命をもっているべきだということは信じているらしい。生きる理由とは、その使命のことをいうのであり、人は生きる理由を持っているべきなのだ。ないのなら見つけ出さなければならない。

なめているのか?ずいぶんとぬるいことを言っている気がする。ぬるいのは楽だ。ほどほどの調子でなあなあに物事が流れていく。