masatoの日記

やっていきます

2017/11/10

何か嫌なことがあってスイッチがはいってしまい、思考のループにはまることがある。この場合に、それまたはその周辺の事柄についてブログに文章を書いたことがあると、自然と止むことがあった。続けるのがしょうもなく感じられたからだ。スムーズに平穏な状態に戻れたことは、とてもよいこと。嫌なことをずっと考えてるのはしんどい。超消耗する。

なんで考え続ける気が失せたのかと言えば、ブログに書いたことがある時点である程度、それは検討済みのことになっていたから。頭のなかでこねくりまわした理屈で、書いた文章よりまともなものを生み出せたおぼえがなくて、一度書いてるから今考えても仕方ない、みたいな気持ちになれる。ある程度納得できる形で意見を出しておけば、次回それがやってきたときに、振る舞い方を決めるために考えるべきことは絞りこめる。再検討するにしても、いまある検討案をたたき台にできる。更新して、成熟させられたらよろこばしい。

しょぼくても、意味わかんなくても、日常的に文章を書いていると、日々生まれる悩みと折り合いをつけることを助けてくれる気がしている。書いたことがが正解じゃなくてもいい。だって、正解はいつも事後にしかわからないし、状況によっても変わる。そんなあらかじめわかりようのないものだから、常に不完全なんだが、それで構わない。意見を出し、納得することに価値がある。悩みまくって消耗するのは、つきつめれば、それに納得できないからだよね。

全部が全部そういう具合に納得していけるかというと、難しいんだけど、潔癖にならなくても大丈夫だ。個人的には、抱えている荷物をちょっとでも捨てられるだけで成功している。そうやって習慣的に心配事を整理できていれば、ウダウダしがちな私のような人間にとっては、いくらか気分よく生活できるようになるんじゃないかという気がしている。