masatoの日記

やっていきます

2017/11/11

「好きなことをやればハッピー。好きなことをやろう」とひとは言う。その人は、実際に好きなことをやれていてハッピーを実感しているんだろう。

それは「好き」を持っている人だけに許されたことである。

「好き」とはなにか? ひと言でいえば、「やってて楽しいこと」だろう。自分にそれはあるか? 「とくにない」と思った人はわたしと同類だ。

胸を張って好きなものをいえない人間にとって、最初の言葉には困惑させられるところがある。この言葉には、だれしも好きなことを持ってて当然といっている様子があるからだ。

好きなことをしている人は輝いて見える。反対は、陰キャラっぽくないか?自ら陰キャラだと思われたいひとはいない。ここに、好きなものがなければならないという圧力が生じる。わたしはそういう圧力を感じてしまう人間である。胸をはって「好きなものは別にないです」とさわやかに言い放てたら、と想像してしまう程度に。

わたしにとって「好き」とは試行錯誤の末、発見するものである。「私はこうして『好き』を発見した」ということを書いている本があったらぜひ読んでみたい。直接話を聞くのでもいい。「好き」を見つけることはできるのだという可能性をみてみたいからだ。それは希望そのものではないか。