masatoの日記

やっていきます

ビビって行動できないとき、背中を押してくれるせんぱいとのダイアローグ

負けるのを恐れて尻込みしている人がいます。どうしても、やってみて負ける気しかしないので、やりたくないのですが、やった方がいいとも感じている人です。ビビっているわけです。 

ビビっている人(「ビビり」)「あー、ダメだわ、絶対ムリだ。仕方ない...ためしてみて、ちゃんと負けてこよう。負けることで、次に進めるようになるんだよ...」   

 と独りごちています。 

その日、たまたまある先輩と会ったとき、その話になりました。先輩は言います。

人生の先輩(「せんぱい」)「どうして負けるって決めてかかってるわけ?そもそも負けるってどういうことなんだよ。」

ビビり「負けるっていうのは、自分の力が足りなくてやろうとしたことができないことです。そして、それを受け入れて諦めるってことです。でも、うまくいくかどうか?って考えているだけじゃ、永遠にそれはわからないので、実際やってみて結果を確かめるのは必要だって思ってます。」

せんぱい「できないって考えているらしいけど、わからないでしょ。これまでいつも自分の想像したとおりになったわけ?」

ビビり「想像通りの時もあったし、違うときもありました。全然ダメだと思っていたときでもなんとかなることもあったし、やっぱりダメだったときもあったと思います。失敗したときも、想像していたとのは違うやり方でダメだったことが多いですね。だから、やってみないとわからないという気はします。」

せんぱい「じゃあ、今回もやってみるまではどういう結果になるかはわからないよね。」

ビビり「そうかもしれないです。」
せんぱい「それに、できなかったことが『負ける』っていうことになるなら、おまえは必ず負ける。やりたいけど、できないことはいくらでもあるんだからな。当たり前。むしろ、本当の『負け』は、恐れてやらないことなんじゃないか。」

ビビり「そういう気もします。」
せんぱい「何もしなかったら、もしやった場合にどうなったのかわからない。それではやりたかった『それ』は絶対にできない。やってないのだから。二重につまらなくないか。」
ビビり「それなら、できなかったとしてもやってみた方がまだ楽しそうですね。」
せんぱい「そのとおりだ。」

 

はい、 他人であるせんぱいは、好き勝手いいます。実際、言ってることは理屈として正しいように思えるので、反論の隙はありませんし、そもそもせんぱいに口応えするのもおっくうなので、肯定するほかありません。   

さて、このビビっている人は、その後やるのが怖かった『それ』をやりました。すると、予想外の結果となったのです。うれしい結果でした。それを確認して、怖がっているだけでは何にもわからないな、とビビりは思ったのでした。    

そして、さらに思いました。やった方がいいと頭ではわかっているけど怖れていてできないことがある。それをやるには「暴力」が必要だ。自分の外からやってくる力が。    

でも、いつも都合よくそういった力を利用できるかどうかはわかりません。だから、怖いことでもやり続けるしかないのだととりあえず結論しました。やり続けていれば、そこから何かのよいことを引き出すことができれば、次第にそうすることの意味が身体感覚にしみついていくと思われるからです。そして、「暴力」はうまく使えばむしろよいものだとおもいました。