masatoの日記

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落合陽一のAI本を読んでいる

きのうネットしてたら落合陽一さんが出演している「情熱大陸」が無料公開中だったので、視聴した。25分だったのでサクッと見れる長さだった。

dizm.mbs.jp

おもしろかったので、落合さんの著書があったら読みたいと思い、検索して見つけた本をいま買って読んでいる。『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』という本だ。最先端の科学者が、AIが普及した世界で人間にどのような生き方が可能だと考えているのかに興味があった。

プロローグにこうある。

「AIはAIとしての仕事を、人間は人間らしいクリエイティブな仕事をすればいい」という論調が僕は嫌いだ。この論調は思考停止に過ぎず、クリエイティブという言葉であやふやにごまかすことで、行動の指針をぼやかす。

たとえば、Google ディープマインド社が開発したAlpha Goが、世界で最も強い棋士の一人、韓国の李セドル九段に勝利したことは記憶にあたらしい。落合氏は、この対局は、「人間対機械(AI)」ではなく、「人間対 機械親和性の高い人間+機械」の勝負だったのだと言う。Alpha Goは、深層学習を取り入れたことで強くなったといわれるが、これはAIがゼロから作り上げたものではなく、人間の専門家がいたからこそ開発できたものだからだ。

AIが完全に自律的にものを作る段階まではいっていない現在、「人間対機械」という対立はズレている。そうではなく、素の人間と機械親和性の高い人間との競争がまず来る。これは、機械を使いこなすのが上手な人達が、ますます強力になっているコンピューターパワーを活用してより多くのことを成し遂げていくようになっているなか、その他ふつうの人間との比較で生産性の格差が開いているからだ、と。

ここだけを読むと、じゃあ、AIを使いこなせない人間は負けるしかないのか、と暗くなってしまいそうだが、大丈夫だった。プロローグ以降は、この前提をふまえた上で、希望のもてる具体的な指針を示している。ここがその辺のAI本とは違うという印象だ。

指針といっても、「こうすればOKだ」ということではない。何が正解であるかは、個人の特性によって変わるからだ。だから、自分がどう生きたいのかは、自分で決めなければならないのは当然であるとしても、この本は今常識的な考え方が、実は時代遅れかもしれないと考えるきっかけになりそうだ。