masatoの日記

やっていきます

あいまいさを受け入れる

わからないことに出くわして困ったとき、どう感じるか。 自分のしょぼさに落ち込む? これは、能力があればわかるはず、と思っているからだ。 能力への信仰。 (その「能力」にはかたちがない。純粋な観念。)

自分は自分ができることしかできない。 いつでもそうだ。 何かわからないこと・できないことに出会う度、いちいち劣等感をもつのはよくない。 それは、いまわからないことを、本当はわかればよかったのに、と不可能を願うこと。不自然である。 観念のなかに埋没していると、いくらでもこういった理不尽が起こる。 わたしはもっと実体の世界に生きたいと思う。

限られた存在であるわたしが生きる世界には、常にあいまいさが残る。 そのあいまいさと付き合っていくほかにない。

これは、不可能な願望に執着し続けるより、ずっとずっと現実的な世界観ではないか。