masatoの日記

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宮台真司が「クソ○○」を連呼するワケがわかった気がした

「どうすれば愛しあえるの 幸せな性愛のヒント」という本を読んでいる。AV監督の二村ヒトシ氏と社会学者の宮台真司氏の対話形式をとっている。タイトルだけみると、「セックス指南」の本みたいだ。しかし、そういうテクニックが直接的に説かれているわけではなく、「社会学的」な内容となっている。

本書の本題からいきなり逸れるが、宮台氏はしょっちゅう「クソ」という言葉をつかう。「クソ女」「クソ男」「クソリベ」とか、まあクソまみれだ。わたしはそこのところが正直「感じ悪い」と思っていたのだが、本書でそれが解け、はじめて宮台真司に好感を持てるようなった。

対談の途中、二村氏が「宮台さんはよく『クソ○○』という言い方をされていますが、なにか意図があるんですか?」(だいたいこういう意味だったと思う)というツッコミを入れていて、宮台氏がそれを説明していた。(すばらしい問いだ。思えば「クソ」という言葉は、この種の本ではぜんぜんみかけない。)その理由は、ひと言でいえば「社会はそもそもクソだから」ということだった。なぜ社会がクソであるのかは本書を読んでもらうのが一番よいとして、著書の(たぶん)いたるところで「クソ」を連呼しているのだが、そこには「社会はクソである」という前提があったのだ。まったく想像できなかった。気にくわないものがたくさんあるんだなという程度の認識しかなく、浅はかだった。そして、なぜ「クソ」なのかの説明を受け、感銘を受け、宮台氏の印象がよいものにかわった。

ちなみに、宮台氏は「感染(ミメーシス)せよ」ということをたびたびいっているのだが、(「クソ」を連呼する感じの悪い人に言われても)心理的に受け入れがたかったところがあった。だから「なんとなく宮台の本は苦手だ」という人は本書を読んで、筆者の前提を踏まえておくと、その他の著作になじみやすいはずだ。そういう意味でもおすすめだし、本書がメインであつかっている「性愛」についても刺激的な思考が展開されていて、とてもタメになる。