masatoの日記

やっていきます

かぜ気味で久々に葛根湯を飲んだ。帰りコインパーキングで清算して車を出すと、「ガリッ」いうので、ゲート下がっていないかと頭をよぎり、見てみたらやっぱり下がってない。どうして?さっき払ったはず。外に出てみて、ちょっと考えて、隣のゲートをみたら降りていた。間違えて払ったようだ。12番を11番と間違えた。たぶん、かぜ気味の体調だからだ。  

500円はもったいなかったが、払ってしまったのだから仕方ない。気を取り直して支払直そうとしたら、今度は500円がない。千円札もない。ということは、崩さないといけなくなった。で、近所の薬局に入浴剤を買いにいった。クナイプ。天然香料で香り付けした岩塩の入浴剤を買う。  

千円札ゲットしたのでゲートを下ろせた。  

コインパーキングで余所の車を肩代わりをしたのは数年ぶりだった。疲れているのかもしれない。休もう。  

それはどっちでもいい。きょうは人間社会について書きたい。人間社会というか、会社社会。あるいは、ある程度の人間が集まった場所。はっきりいうと、女性が3人以上集まった場の雰囲気について、だ。   

女性が3人いて、そこに権力的な男性が加わった場面を想像してほしい。つまり、女性社員3名と会社の取締役、だった。 

取締役は、人事的なこともやっていて(いろいろ兼任している)、今日は会社の支店に出張に来ていた。新しい人を採るため、面接があったのだ。そのついで、というか、支店の社員とふだんできない話をしていた。仕事の仕組みについてとか、ふだん気になっていることについて、とか。そのときの女性社員の雰囲気は、ひと言で言って、ガーリーという感じであった。それはつまり、「作ってる」っぽい感じ。いや、いいんだけど。

取締役は別に特別えらそうな雰囲気の人ではないのだければ、やはりエライことはエラい。そういう「エライ」人に対したときに取る態度が変わってしまうところを目の当たりにすると、「うーん」と内心おもう。思うだけだ。自分だって人のことは言えないから。  

「うーん」の中身は、まあ、いろいろある。1つは、会社のエライ人から女性に対していいかっこしたい、という姿勢がにじみ出ているところ。普段から大変な思いをしているのだから、自分を立ててくれるのはきもちがいいんだろう。それはわかる気がする。だから、それでいいと思う。つかの間の息抜きを気の済むまで味わってほしいとさえ思う。一方で、女性たちの態度の変わりようをみて、普段の様子とエライ人を前にした様子がかなり違うので、彼女たちの「本当」は一体どこにあるんだろう、とわからなくなる。「本当」などというものを求めてはいけないのだろう。少なくとも会社みたいな場所ではそうだ。  

そのあいだ、同じフロアにいた男性社員がなにを感じていたのかを知るすべはない。が、なんとなく同じような感じ方をしていたのかもしれないと思う。でも、それはただの思い過ごしだと思う。 

 

かぜ気味だから、晩酌はよそうと思ったけど、酒をのんでいる。  

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うまい。

 

次。  

 

自分のブログはただの公開日記だ。  

ブログやってまもない頃は「ブログ」っていう響きで、ちゃんとしたものを書かないといけないとか、少なくともそうしようという姿勢が大切だと思っていた。でもいま、そんなこともないと思う。シンプルに自分が書きたいことを書いていいと思えてきた。それをひとが読みたいと思うかは別の問題として、だけど。    

そういうふうに力が抜けたら、もっと自由に書けそうな気がしてきた。たとえば、普段人に言えないことを勝手に書きたい。会社の人とは話せないようなこととか。  

会社は孤独だ。みんなそうかもしれんが、それでもやはりそのことには変わりない。日中そうした環境で、知らず知らずのうち、身体に負荷がかかっている。それを解放するには、言いたいことを言うのがひとつの方法じゃないか。はじめに、言いたいことを言えない環境でがんばっている、ということが負荷なのだから。 

ブログは、聞いてくれる人、読んでくれる人がいてもいなくても、書けることは書けるのだし、それはつまり書いたものが人の目に触れるという可能性が開かれるということだ。それで、ひとは自分の声を世界に放つような心持ちをもてる。だからこそ、せっせとブログを書く人がいるのじゃないのか。マネタイズなし、名声なし、アクセス数なし、なのだし、そもそもそういうことをしたいわけではないのだから、それでよいと思う。