masatoの日記

やっていきます

土曜日だと思って休日のペースで過ごしていたら、11時すぎ、きょうは金曜日だと気がついた。仕事すっぽかしたと焦ったが、会社は金曜日から休業だとわかってほっとした。きのう退社したとき、同僚が仕事納め感を出していたので、真に受けて、何も考えず翌日の今日は仕事がないものと思っていたのだ。まあ、のんき。

そんなわけで、きょうは正月の準備をちょっとした。酒屋さんで1升と750mlを一本ずつ仕入れた。でも親戚のおじさんも飲むからこれでは足りないかもしれない。とはいえ2升もっていくのはやり過ぎか思う。飲みきれなくても全然問題ないわけだが。

それで、近所の和菓子屋さんの近くを歩いていると、お米のいい匂いがした。つきたての餅を取り出して店頭に並べているところだった。年末感があってよい風情。並べられた餅はまだ湯気を出していて、おいしそうだった。

そのあとお昼、先週取り寄せしていたモノを引き取りにお店に行き、お店の人と少し立ち話をした。ショップは年末年始もほとんど営業していて、正月休みは二日しかないそうだ。あるデパートとかモールは、元旦から営業しているのだ。お客さんも大勢来るらしい。「他に行くところがないんですよ」という。福袋目当ての人もいるらしい。わざわざ混んでいるところにくるのは大変そうと思ってしまうが、そこに楽しみを感じる人もきっといるのだ。

今年の振り返り。今年は人との縁にめぐまれた年だった。日常的に人と会話する習慣ができたのは、ここ数年来の出来事であり、わたしにとって大きな変化だった。人を避ける習慣が身についた人間は、ふたたび人と交わろうとするときにどうしてよいかがわからない。そんな人間を、わらわずに相手にしてくれる方々であったのが、よかった。そうでなければ、互いがおもしろいと思えるような関係にはならなかった。

おかげさまで少しは自分を表現できるようになった気がする。ニートで有名なphaさんの著書で印象に残っている言葉があって、正確におぼえていないので、ちょっと(けっこう)ちがってる可能性があるのだけど、こんなことを書いていた。「自分の変態的なところはどんどん出していった方がいい」と。あるいは、「変態的なところ」は「弱みみたいなところ」だったかもしれない。ようするに、一般に世間に言いにくいようなことは、むしろ積極的にオープンにしていった方が人生楽しいよ、というメッセージだった。これは、Twitterの文脈で語られていた言葉なので、日常のコミュニケーションで変態性を積極的に出す方がいい、ということとはちょっと別だ。だけど、ネットだろうがリアルだろうが、とりつくろってしまうのが多くの場合デフォルトである方々において、「本当の」ところを表現していこうよ、そっちのほうが楽しいよというのは共通していると思う。本心じゃないと心が動かないからな。

ひとつ言うとすれば、はじめは自分の弱いところを上手にさらすことはできないと思う。本当の劣等感の核は、自分から出せたりしない。だから、どうしても環境の助けを借りる必要があるわけで、その意味でひととの交流は欠かせない。「弱みをさらせるようになった方が人生豊かになる」というのは、結果であって、原因ではない。その意味でこのメッセージは希望を抱かせるものではあるが、具体策については何も与えていないといえる。具体策を示してもあまり意味がないかもしれない。それは、人によって違うだろうから。「こうすればOK」というのはたぶんない。つまり、自分で試行錯誤するしかない。それは、大変で不安なことだけど、結果、自分で大切なものををつかんでいく感覚が得られるわけだ。つまりそれが自信と呼ばれるものではないか。

以上、振り返り。

来年は、もっと素直になりたい。どんどん流されていきたい。