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「できること」が善か、について。
善であると同時にそうでもない。その両面がいつもあるんだと。
「できる」っていうのは、つまり思い通りにことが運ぶということ。 それは、仕事が捗るとか、期待していた成果があがるということでまさに喜び。それはそうだが、問題はつねにそうは事がはこばないという点にある。
そうだから「できる」ことが絶対善という価値観だと、できてない場合に苦しい。
どれだけ苦しいかは、「できる」ことへの執着の強さによる。
その意味では、向上心とはあればよいというものでもない。
とはいえ「できなくてOK」とはばかり言ってもいられないのも確かだ。
いつもできないのでは、まさにやっていけなくなってしまう。
バランスが求められる。
そこで、「できる」と「できない」の両面性を受け入れるということに価値が出てくると思う。
「できない」ことが絶対悪だと、常にしんどい。
なぜなら、何かに対する自分の能力は、訓練次第で一定レベルまで向上できるが、それにつれて目標の難易度も上がるから、できないことはいつまでもなくならないからだ。神とか、天才とか、秀才とかが世の中には存在すれど、それは人間の可能性がそれだけ大きいということではあっても、自分もそうなれるとか、そうであるべきだということとは全く別である。
そのことをすぐに忘れる。
そしてまた思い出して、を繰り返すのがある意味で大人への階段。
ほどほどにやっていこう。