masatoの日記

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あした読書会に行ってくる。お題は千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』。「勉強」+「哲学」だって。すごい賢そう。しかも「来るべきバカ」ってどういう意味なんだよ、と興味をそそられるタイトル。この本は、たしか去年の9月に買って読んだ。

「勉強ってそもそも何することなの」―ということを再定義してくれている。目次からキーワードっぽいものをかいつまんでみると、それはたとえば

勉強とは、自己破壊である

自由になる、可能性の余地を開く

とかある。

勉強すると自由になれるかもしれないんだ。今の自分を乗り越えられるかもしれない。とか思っちゃう人はワクワクするような見出しが続いている。

「勉強」が「自由」に向かっているという観念はおなじみになってると思う。だが、本書がこのように言うときは、それは一般的な意味とは異なる意味合いでだ。ふつう勉強するというと、今の自分に知識とか能力とかを付け加えるというイメージが強い。仕事がもっとできるようになるために勉強するとか。でも、「自己破壊のための勉強」は方向が逆らしい。それは、いまの自分ではいられなくなるような勉強なのだという。

そんなこと、ほんとうにできるのかよと思うけど、この本を読むとできそうな気になれるので好きだ。

好きな人は勉強って大好きだ。それとは逆に、勉強なんて不要というスタイルもある。勉強してなさそうで楽しそうにしているヤツはいい。勉強頑張りすぎて苦いかおしているより断然いい。苦しい勉強というのがありふれているから、勉強についてはふくざつな気持ちがある。人によって「勉強」の意味するところも違う。それは自明ではない。というわけで読書会では、本について他の人がどういうことを思っているのかが聞けるのでたのしみだ。