masatoの日記

やっていきます

今年も早いものですでに2月になっている。4月から東京ではたらくために引っ越しをしなければならないのだけど、いよいよさったと動かないと住む場所がなくなる。

うさぎを飼っているので、ペット可の物件でなければならない。ペット不可の部屋で飼うのは心理的負担になるのでダメだ。多少高くても安心して生活できることの方が大切である。

よく言われるように東京の賃貸はバカ高くて、同じ金だせば他の地方都市ならキラッキラのお部屋にすめる程だ。名古屋で賃貸を探してみてほしい。8万、9万の賃貸は、家族で住めるような広さの部屋か、それともひとり暮らし向けなら悠々自適な感じの部屋がみつかる。それが東京だと6畳ワンルームだったりするわけで、理不尽だと言わざるを得ない。まあ、家賃をものともしない高収入であれば問題はないのだが、明らかなように、そうではないわけので、人はどうしようかと不安になるのだ。

賃貸が高い話はもういい。

今回の引っ越しは人生ではじめて他県への移住となる。ずっと愛知県で生きてきた。県内の引っ越しなら4回している(割と多い気がする。平均どのくらいなのか?)。はじめはドキドキするが、慣れると割と平気。知ってる土地だから。でも、全然知らない土地に行くとなると、どういう生活をすることになるのかイメージがあいまいになって、心がざわざわする。このざわめきは、学校の頃のクラス替えを控えた時期のそれと近い気もする。期待と不安が入り交じって、下手したら友達ができなくてどうしようとか思うし、でもかわいい女の子と仲良くなれたらいいなとかいう希望もあって、落ち着かない時期。学校みたいな固定的な環境では、クラス替えは一大事だ。

大人になると変化を怖れるとか言う。歳を取るにつれて失うものができてくるとか、若い人は失敗しても取り返しが付くとかそもそも失うものなどないのだとか。そうはそうかもしれんけど、若い人ほど自分以外の何者かによって何かを強制される機会が多いんじゃないか。それは、好むと好まざるとに関わらず、変化させられてしまうと言うことだ。若くたって変化や失敗が怖いひとはたくさんいると思う。怖くてどうしていいかわからないけど、他にオプションがないから、やるように追い込まれているだけのときだってある。年配者は相対的にそういう状況になりにくい。

なぜなら、あるポジションにそれなりの期間いると、周囲が自分に合わせてくれるようになるからだ。これは他人に理不尽な要求を迫られる機会が減るということである。これを安定と呼ぶかぬるま湯と呼ぶかは完全に個人の感じ方の問題かと思う。自分は、安定だと思ったし、ぬるいとも思った。同時にぬるいのが何が悪いのかとも思った。でも結局、転職することに決めてしまった。

ところで今の場所には、5年ほど暮らしている。そのあいだ同じ会社に勤めていた。社員数70人ほどの会社なので、社内の環境には慣れきっているといってもよく、部署異動などで同じ社内でも新しい環境になるということはなかった。そのために、学校のクラス替えのような強制的な環境変化はここ長らく起きていなかった。ある意味、コンフォートゾーン内で生活を完結させられるようになったといえるだろう。そんなわけで、転職のように強制的に環境が変化する機会は久しぶりだ。

環境が変わるというのは、よくも悪くもストレスがかかる。負荷がかかると、あれこれ考えるきっかけになって、それはまた興味深い。

引っ越し業者の選定とか、荷物の整理とかがんばろう。