masatoの日記

やっていきます

蟄居

すべてがだるくて起きているのが嫌だったので寝つづけ、昼過ぎまで布団でグダグダしていた。 いい加減飽きたところで起き上がり、徐々に意識と気分が回復したところで、昼飯兼夕飯(予定)のカレーを作りはじめた。黙々とカレーを作っているとき心が安定するのを感じた。鍋いっぱいに作った。あと2日くらいは食べられるだろう。もっと大きい鍋があれば、週末に作りだめして冷凍しておいてもいいかなと思っている。しかし冷凍したカレーは作りたてのカレーみたいにおいしいのだろうか。あまりたくさん作ってしまうとありがたみが薄れてしまって、ずっと食べないまま冷凍されっぱなしになってしまうような気もして、たくさん作りすぎるのもどうかなと思っている。

カレーを食べて満足したあと、部屋をすこし片付けた。そしてあとは、最近の出来事やこれからの予定についてあれこれ考えたりしていた。

部屋からいっぽも出ずに1日を過ごしたのはひさしぶりだった。外に出るのがだるいので、ということで思い切りよく引きこもれたところはよかったとおもう。「だるいので」に一切反論を許さない姿勢。「でも」も「しかし」もない。蟄居に徹しきれた。だからどうした、というのは、だから休息できてよかった、ということにしておく。

ところで午前、布団のなかでもぞもぞしているとき、田舎の風景が脳裏に浮かんできたのがおもしろかった。地元に川沿いの堤防ぞいの国道があって、ここは見晴らしがよいため、川の水が流れている様子や河原の石ころどがよくみえる。空も広い。部屋をでたらそういう風景があったらいいのに、とおもった。以前はあって当たり前に受け取っていたものが消えてしまったり、それらへのアクセスが絶たれる(ような感覚になる)と、その対象への想像力がゆたかになるという事例だ。けっこうリアルに風景がよみがえってきて、脳って潜在能力あるなという感慨をもった。