masatoの日記

やっていきます

たとえばなんかの場にいて、自分以外が目上の人ばかりであるとき、どういうふうに失礼のないように振る舞おうかとよく考える。それはまず、保身のためだし、場の空気を乱さぬようにという意識があるからだ。保身というのは、下手な言動が年長者からの反発を引き起こすとよくないという意味だ。実際にそういう経験をしたことがあるのかは確かな記憶がないが、以前の会社であったかもしれない。上下の序列が割と明確な組織で目下に対して目上の者が不用意な言動を諌める、そういうイメージ。このような刷り込みが自分の中にはあって、会社の外の場であっても、常日頃そういう防衛機制が発動している。ある意味大人になったといえる。しかし、これは度がすぎると、何もしゃべれなくなってしまうということでもあって、良し悪しがある。たとえば、場を仕切っている人が自分だけがしゃべっていて、他のものは自分に迎合していればよいのだ、という空間であればそういうスタンスでいるしかないのだろう。だがしかし、そういう場にいることはないわけで(好んで参加しようとおもわない)、場の人たちが自由に振る舞えた方がみんなが楽しくすごせるはずだ。だから、自重しすぎというのは、どうだかなと自分に対しておもっている。

そう思ってはいるが、人の集まった場での振る舞いというのは、あたまで考えて変えられる部分は限られるとおもっている。(変な言い方かもしれないが)どれだけでしゃばって、あるいは引っ込んでいるのがちょうど良いか、というのは、まさに理屈だけでは判断できない部分が大きいのではないか。そもそも、でしゃばるとかひっこむとか考えている時点でずれているという気もする。そうであるので、理屈をこねても仕方がない、効き目ない、と思うところは、あまり考え過ぎないようにしている。