masatoの日記

やっていきます

インターネットしていたら、noteで古賀史健さんの記事みつけて読んだ。こんなことが書いてあった。

いくら頭のなかで「考えてる」と思っていても、それは「考えてるシール」を貼りつけた空き瓶であることが多い。ちゃんと栓を抜いて、グラスに注いで、「あれっ? 空っぽじゃん!」を人前で自覚しないと、ほんとうの考えにつながらない。ぼくの場合は「書く」という行為を通じて、ひとりのときでも己の空き瓶っぷりを自覚できるようにしているのだけど、いずれにせよ言葉にしてアウトプットしないと考えは深まっていかない。

https://note.mu/fumiken/n/nac29f0f7094c

自分のブログを後日読み返してみると、内容のうすさを感じることがある。その時の感覚にぴったりはまった。「人前で自覚」とあるのは、人に読まれたほうが気付きやすいということなのかもしれない。

 

僕はそうだ。公開すると、見られているという感覚から、自分の書いたものの内容や言葉選びの傾向に意識的になる。それで、なぜ同じようなことばかり書いてしまうのか?と思ったり、同じ言葉づかいを繰り返していることに気づいたりする。書くことで、あたらしい疑問が得られて、そこから考えていけるようになる。