masatoの日記

やっていきます

疲れると、私は疲れまいとして抵抗する。あるいは、疲れをなかったことにするように気力、理性で補おうとする。そういう頑張り癖が根強くある。あるものをないものとするところにそもそも無理がある。だが無理なことを無理だとみきわめるのは簡単ではない。精神力の神秘性によって人は無限の力を有しているのだというイメージがあって、正しく頑張ればなんとかなるのだという可能性は、意味がわからないまま常にあるようだ。しかし現実そんなことはない。疲れた場合に、疲れを取るには休むしかない。また、気分が悪い、すべてがダメなように見えるときは、頑張り方の工夫が足りなかったり心の持ちようがつたないからではなく、ただ休養が必要なのだ。世間のさまざまなノイズが、この当たり前のことを見えなくさせている。それらは、いい人の顔をして、頑張るようにと、ちゃんとしなくちゃダメだよとささやきかけてくる。本当に気に掛けて言ってくれるものだから、むげに扱えない。だから、知らず知らずのうちに頑張り癖が浸透してしまう。そうやってみんな頑張ろうゲームをしている・・・という時代があった。いまはそんなでもない。疲れたら、ああ疲れたね、という感じで自然に過ごしている人が多いと感じる。ほんとうによかった。