masatoの日記

やっていきます

「可能性」の言い換え

NetflixでMaster of None(何一つマスターしているものはない=何者でもない)見てて、なるほどと思わされたセリフが「20代のころは先がよく見えなかったけど、今30歳を過ぎて見えるようになってしまった」というもの。2年間いい感じで付き合ってきて同棲もしている彼女と結婚できるかどうかを自問する場面で、将来がなんとなく描けてしまうがゆえに、このまま彼女と一緒になることが良いことだと確信がもてない主人公が言う。 

このセリフは、「可能性は若い頃には満ちていて、歳をとるにつれ減っていく」という定型句のウラだなと思った。可能性に満ちているということを逆さにすると、将来がみえない、になる。どの可能性を選択するかによって将来が変化するからだ。そして、可能性が減っていくということは、選択肢が少ないがために変化の予想が立てられる、という意味になる。

言葉の違いで印象が変わる。「可能性」を主語にすると、「満ちている」ことが良きことで「少ない」が悪しきことに傾いてみえる。可能性はたくさんある方がいい気がしてしまうのだ。他方、「先行き」を主語にしたほうがどちらか一方が良くて反対側が悪いという偏りが少なくてニュートラルな感じになる。「先行き」が見えないことは必ずしも喜ばしいことではないけど、同時に悪いことだとも断言できない・・・はずだ。ニュースなどで「先行きが不透明」というとネガになるわけだけど、好転する可能性を全否定しているわけでもない気がする。 

だから、「若い頃は可能性に満ちていて、歳をとるとともにできることは少なくなっていく」的なことを言いたくなったら、「可能性」を「先行き」に言い換えた方がより自己肯定的な言い方をしよう。そっちのほうが楽になれるとおもった。