masatoの日記

やっていきます

人の気持ちを知るのはむずかしいとおもう。はっきりした怒り、悲しみ、よろこびなどは、わかる。そうではなくて、もっと表現がおだやかなものは読み取りにくい。おとなが示す反応はときに微妙で、いろんな感情のまぜこぜになっているようで、それが一体どういう感情なのか、自分経験だけでは推し量れないことがよくある。こどもの感情は、自分もかつてはこどもだったので、わかるような気がしている。気がしているが、ただ、そういう気になっているだけという可能性は大いにありそうだ。大人の感情は、個人のおいたちだったり、経験の幅だったりがまちまちで、自分のそれと大きく隔たりがあるようなときは、その人のなかでなにが起きているのだろう、というようにぼんやりと思ってみることくらいしかできない。もしそれを知りたかったら本人になにを感じているのかと訊ねてみることもできなくはないが、二つの理由でためらわれる。ひとつは、感情を説明することはむずかしい。言葉でなにを感じているかを説明すること自体がむずかしいのと、それをいうのが気恥ずかしいことがある。ふたつ目は、感情を説明するのが気恥ずかしいということの裏面で、あえてそういっためんどくさいことを質問するのを後ろめたく思う気持ちがあるからだ。なので、普段そんなこときけない。あと、人の感情について話をするときは、敬意がなくてはならないと思う。自分の幅を広げたいから、たくさんの人の気持ちを知ってみたいという動機が前面に出ると、なんだ私はあなたの成長欲求を満たすためのネタなのか、となるかもしれない。ならないかもしれないけど。そんなこんなで、人の感情について話をするのは気を使うので、むやみにその話題には触れないようにしている人が多いのではないかとおもっている。