masatoの日記

やっていきます

口内炎

1cm以上もある口内炎ができている。鏡を見ながらずいぶん大きいなと思い、そのでかさに不安になって検索した(「口内炎 大きい」)。口腔のお医者さんの書いた記事によると、口内炎は1cm以上の大きさになると潰瘍と呼ばれるらしい。ということで、おれの口には潰瘍ができている。  

いつからあるのかはっきりと覚えてはいないが、先週木曜にはすでに存在していたことは確かだ。その日は検診で胃カメラを受ける予定があり、口内炎ができているのを見つかったら嫌だなと気にしていたことを覚えている。とはいえカメラは経鼻だったので、つまり口を開ける必要はなく、口内炎がみつかるわけはなかったから余計な心配だった。で、木曜から数えて今日で4日になる。日数を気にしているのは、先の記事には「すぐに病院に行った方が良い場合」が二つ書かれていて、そのうちの一つで最初にあるのが「1週間以上治らない」場合だからだ。今、1cm以上まで拡がっているということは、あと3日では治らないだろう。だから、三日後、おれは病院に行った方がいい人になるだろう。でも、それで病院に行くかというと、行かない。根拠はないが2週間あれば治るはずだから。

それでも治らなかったら行くことにする。

口内炎ときっと関係あるのだろうけど、夕方から夜にかけてだるさを感じて、晩ご飯を作るのをあきらめた。腹がほとんどへっていなかったから、無理して作ることはないと思ったこともある。一日夕食を抜いたって全然大丈夫だ。むしろ疲れているときは食事をとらない方がよい。野生の動物が弱っているときどうするか知っているか?元気になろうとして食べ物を摂るか?いや、摂らない。彼らは何も食べずに休むのだ。食べると消化するのに体力を消耗するのだ。こういうことを思い出しつつ、ならばおれも食事を抜くのが正解だろうと考えていた。からだの声を聞くのだ。だが、からだの声を聞こうとするものの、かすかすぎて聞き取れない。代わりに「夕食をつくるのがめんどくさい」という言葉が浮かんだが、これは理性の声じゃないのか。あるいは、身体の欲求に駆動されてこの言語が生じたということなのか?とすれば、受け入れるのが正解になる。だけども、めんどくさいという感情は今日だけじゃなくて日常多々感じていて、そのときも身体の必要性が背後にあるのだろうか?思考がそんな風に流れていって、おれはからだの声から遠ざかっていった。

声を聞くことをあきらめ、みそしるぶっかけご飯を食べた。これならかんたんに作れて消化にも良いときてる。みそしるぶっかけごはん万歳!