masatoの日記

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定時で帰るときにわたしが思うこと

最近定時で帰れる日が多いです。
定時退社について思ったことを書きました。

毎日なるべく定時で帰るようにすると疲労が浅くなる、はずだ。 「はずだ」というのは、疲労を主観的に正しくとらえられる自信がないからだ。 成果は時間に比例しないが、疲労は時間に比例する、というのが今日思いついた仮説である。 なぜなら私にとって会社とはただそこに存在するだけでエネルギーを消費する空間だからである。 会社的なあれこれが緊張を強いてくるからである。 むろん定時で帰れないときはある。それ以外の時に必ず定時を決めることが重要だと言っている。

定時で帰るには意思が必要である。 わたしはこれ以上仕事をしない、そして/とにかく会社を出ていくという意思が必要である。
さもなければ、まだデスクにいる同僚から出ている波長、「もうちょっとしたら帰るかも」に侵されて、なんとなくだらだらとそこに居続けることになる。 「なんとなく」に流されることで自分に迷いが生じることを見逃すな。 なぜ自分はいま迷っているのか?なぜ帰らないのか? いや、むしろなぜいま直ぐ帰らなけれないけないのか?みんなの空気に合わせてもうちょっといた方が具合がいいのじゃないのかい。ほら、そういう空気な気がするから...

否。断ち切らなくては。

なぜ迷うのか知っているか? 早く帰ると先輩社員にうっすらと反感をもたれるのではと心配しているからさ。 なぜそういう心配をしてしまうのかといえば、若いからさ。 反感をもたれたってかまわないだろう。 それよりも帰宅の方が大切だとは思わないか? 有意義にだらだらするためには早い時間の帰宅が必要だろうに? 自分の意志に自信をもってくれ。 そのしょうもない「反感」を未然に防ぐためといって、自分の行動を決めさせてはならない。

冷えた頭とあたたかな心でサクッと定時退社を決めるんだ。