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令和元年の初日が過ぎた。
時代はよくなるのか。
最近『東京貧困女子』という本を読んだ。
東京で暮らす、ふつうの、あるいは優秀な女性たちの貧困生活について書かれていた。
シングルマザーで、親類の助けが得られず、健康を崩して働けなくなると貧困から抜け出せなくなるという。
東京は生活費が高いから。
地方に行けばよいのに、と思ったが、かんたんにそうできない事情があるのだろう。
同じ境遇のシングルファーザーならどうなのか?とも思った。(母数少なそう)
官製貧困のはなしがあった。
官製貧困とは、国や自治体によってつくられる貧困のことだ。
出ていたのは非正規の公務員の例だった。
その賃金制度は生活保護の給付金を基準に設計されているという。
がんばって働いてもせいぜい稼げるのは生活保護の程度で、成果にかかわらず、期限が来たら雇用が切られるという。
それで、シングルマザーで、親類の助けが得られず、健康を崩している。
はたらけないから稼げないけど、金は必要だ。
どうすればよいというのか。
生活保護を受けるというのがひとつの答えだった。
ただし、生活保護を受給するためには、「稼ぐ能力がない」ことを証明する必要があるらしい。
つまり、はたらける能力がある限り、受給できない。
もっといえば、体をぶっこわして働けなくなってからやっと受給資格が得られる。
これでは地獄だ。
本当に壊す前に、公的な証明があればよいのかもしれない。
たとえば病気の診断書。
病気にならないと診断してもらえない気もするが、まだ元気があるうちじゃないと遅すぎるとおもう。
互いにそれぞれの人生を想像できない、理解できない。
分断だから、流れがない。
これは格差ではなく、階級だという。
貧困はわるい。