masatoの日記

やっていきます

日曜日

目の奥が痛む。雑用をいくつか済ませ、買い物に行った。引越し以来ハコに入れっぱなしだった本を本棚へうつした。おかげでダンボールが3つたためた。部屋が広くなった。すがすがしい。 

横浜美術館にTATEブリテンが所蔵してる作品が展示されてるというので、見に行こうとした。しかし行動するのが遅すぎで間に合わず、あきらめた。時間切れで強制的に可能性が絶たれる感じがつらい。 

最近ウイスキーがおいしく感じる。おいしく感じる前は、あれをうまいという奴はオシャレぶってるだけなのではと疑っていた。3年前くらいになんとなく買ったカティサークを思い出したように試してみたら、案外いけることに気づき、それ以来定期的に楽しむようになっている。そして残りあと6分の1くらいになったのであたらしいのをポチった。

いまさらだが村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいる。13歳の少女と主人公が交流していくところが『ダンス・ダンス・ダンス』を思わせる。最近できるようになったのだけど、小説を読んでいて、人物や風景を割とよく映像として思い浮かべることができる。あるいは多くの人ができるのかもしれないが、ぼくはできなかったことだ。できなかった頃、どういう世界を再現していたのかというと、もやっとした情念イメージみたいなものであったと思う。輪郭がぼやけている。解像度が良くも悪くも低い。絵でいうと、抽象画。したがって、人物は抽象的な存在であって、特定の人間として想像されることはなかった。今は、実在する人物のイメージが小説内の登場人物にオーバーラップしてくる。描かれている特徴を読むと、自分が知っている実在の人物のそれとが結びついて、映像が立ち上がってくる感じ。視覚は割と見れるのだが、音声をあたまの中で再生するのは自分にはできない。記憶に色がついている人、音声が再生できる人がいると読んだことがある。そういう違いが人によってあるのだろう。自分の記憶には音声がうしなわれている。声が思い出せるってすごいよね。そういう人、どこにいるんだろう。