masatoの日記

やっていきます

がんばりたくないという気持ちはずっとある

「頑張る」というアイデアが嫌いで、可能ならまったく頑張らないで生きていきたい。人には言わないが、おもってはいる。そんな自分はしかし実際には自分なりにそれなりに「頑張って」生きている。この「頑張る」というアイデアについて、かなりこじらせているようで、嫌いなくせにずっと頑張らないままでいると、「これでいいのだろうか??」と不安で仕方がない。この、「これでいいのだろうか??」を背後で駆動しているものの正体は何。それは淘汰されることへのおそれか。何に?どうやって? ともかく、淘汰されるのは嫌だ。だけどいつ滅ぼされるのかと脅えながら暮らしていく方がもっともっと嫌だ。それくらいなら、嫌々でもやってしまったほうがずっと簡単である。人が嫌々がんばってるのはそんな訳からなのではないかと想像している。たがしかし、おそらくは残念ながら、これは心的態度としてうつくしくない。だから口外せず心の中にしまっておく。自分は、自分にとっての「頑張り」のもっとよい落とし所を求め続けている。「頑張る」に替わる表現を。やりたいとやりたくないで板挟みになりながらも取り組んでいく、その姿勢をさわやかに表現する言葉があるべきじゃないか。