■
さんまが旬なので、よく焼いて食べる。魚を焼く網がないので、てきとうな大きさに切ってフライパンにこびりつかないシートをしいて焼くのだが、まあ、ほどほどにおいしいのだが、網で焼いた方がずっとおいしいとおもう。これは魚焼き網を買った方がよいのだろうか。AmazonとかでIH対応のそれがけっこう安く売っていそうな予感がするが。
魚は焼いただけでおいしく食べられるのしか買わない。知らない種類の魚は調理の仕方がわからない。ネットで調べればいいのだが、めんどくさがって、やらない。よって、知ってる魚ばかりを繰り返し交互に食べている。鮭、さんま、鮭、さんまが去年今年のレパートリー。
さんまだと一尾まるごと売っている。食べやすい大きさに切るのだが、当然内臓があるので、包丁を入れると臓物が出てくる。ちょっと痛い感じがする。でも、さんまの表情は変わらない。完全にしんでいるのだ。
■
知人宅に泊めていただいた翌朝、
知人宅に泊めていただいた翌朝、その知人が「7時半に家を出る用がある」と言うのでぼくも早く起きた。普段遅くまで寝ている自分としては、この起床時間はとても早い。それでも起きられたのは強制力が十分強かったからだ。客がずっと寝ていたので外出できなかった、というのは非常によくない。すべて自分の自由だったらどうだろう。たとえば自宅でひとり「明日は早起きしよう」と決めてみても、やっぱり眠いからとかいうことになって起きないだろう。
昔グーグルフォトだかEvernoteだかに保存しておいた写真がみつからない。昔の思い出にひたろうかと思ったのだが。
週末、田舎に戻ってみた感想は、自然のなかで歩くことはこころによいということ。空が広くて、人ばまばらで、空間が解放されているところを歩いていると、それまで自覚できていなかった緊張がほぐれて、実は緊張していたことが自覚される。正確には、東京に帰ってきてからそのことに気づいた。
IKEAのカタログがポストに投函されていた。「ご購入後に気が変わっても大丈夫。イケアの商品は、お買い上げから365日以内は返品可能です。」とある。一年間使い込んだクッションでも大丈夫?
■
担々麺を食べる。とうがらしと山椒が入っていて、辛い。しかも大盛りだ。
胃に刺激が強すぎたようで、夕食が食べれなくなった。
無目的に渋谷にいく。書店に行ってみようと思い、書店を検索する。ジュンク堂書店が東急百貨店の7階にあった。
百貨店を出ると、はっぴを着ている人がいる。歩行者天国になっていて、お神輿をわっしょいしている。
渋谷でも神輿をかつぐお祭りがあるのだ。
帰り道、図書館に寄る。保坂和志の『カフカ式練習帖』があれば借りたかった。しかしそれは置いてない。
そこで一時間ばかし丸谷才一の『彼方へ』を読む。1970年代に書かれた小説ということだったが、古さは感じない。片手で本を開きながら、反対の手でスマホをいじっていると、「館内でのカメラの使用はご遠慮ください」と職員さんが言う。本のページを写真に撮っているようにみえたらしい。が、おれは写真は撮ってない。とっていたのはメモだ。
というわけで、村上春樹の作品全集で『風の歌を聴け』と『1979年のピンボール』が入っているやつを借りて去る。
「風の歌を聴け」にはこういうくだりがある。
話せば長いことだが、僕は21歳になる。まだ十分に若くはあるが、以前ほど若くはない。もしそれが気に入らなければ、日曜の朝にエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降りる以外に手はない。
自分は33歳だが、前半部分のことは毎年思う。だが21歳は若い。村上春樹はこの作品を書いたときたしか35歳くらいだったはず。
貸し出しカード。98年から99年の記録。月に1〜2回貸し出されていたことがわかる。電子化されていないところがとても良い。
また夢をみたい
眠ってみる夢のほうの夢。 先月にレジスタントスターチを食べるようになったら夢を見だしたということを書いた。
ブログには書いてないが、この記事の翌日にも別の夢を見た。
それから一月ほどが経つが、ここのところ夢を見ない。夢をみるのはなかなか悪くなかった。おれは、また夢をみれるようになりたい。
夢を見る/見ないには、腸内細菌というか、腸の状態が影響していると想像している。夢をみるのは、腸内フローラが育っていて(?)、迷走神経がちょうどよく刺激される場合である。最近夢が見れないのはレジスタントスターチを摂らなくなったことと関係があるかもしれない。レジスタントスターチは腸内細菌を育てる。ヨーグルトは食べつづけているのだが、それだけでは不十分かもしれない。
というわけで、おもむろにお茶にレジスタントスターチの粉末をとかして飲んでみた。おいしくはないが、不味くもない。ただし粉っぽい。何かおいしく摂取できるレシピがあるといいのだが。料理のとろみ付けとして片栗粉のかわりに使えばいいのだろうが、とろみをつけるような料理を作らないので、別の方法をみつけないといけない。
はたして、きょうは夢を見るのか。
■
「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない
結局無様なかっこうで流されてしまう。
目標がなくなったあとおそなつに嚙む木べらから木の味がする
他にすることがないことの表現として。木べらは味方だ。いつも助けてくれるから。それをあえて齧るときに何をおもうのか。
口笛を吹いて歩けばここに野のくる心地する 果てまで草の
すべて 虫武一俊『羽虫群』より
■
今日はじめて税務署に電話をした。市民税・県民税の納付を忘れていて払込書の期限がすぎてしまったからだ。税金の払込用紙が入って送られて来た封筒の裏面に「お問い合わせは、この封筒に封入されている納付書などに記載されている市税事務所の担当係へとお願いします」とあった。別の担当に電話がいかないよう配慮された書き方だと思った。そういうのが多くて困っているのかもしれない。うっかり違う窓口に電話したら不機嫌な声でちくりと言われそうという思いがよぎった。「担当係」に電話しなければいけない。おれは素直にしたがって、封入されていた用紙であるところの払込用紙にその連絡先電話番号を求めた。そして、それはあった。時刻は11時前、6コールくらい鳴らしたところで男性の職員が出た。声色から歳はたぶん40歳くらい。50歳には達していないし、30代にしては貫禄がありすぎるかといったところ。でも税務署に勤めているような人は若くしてそのようなレベルに達するのかもしれない。税務署に勤めている人の知り合いがいないのでよくわからない。で、「期限が切れてしまったからどうやって払えばいいですか」、「郵便局、銀行にもっていけばまだ使えます」。問題はなかった。ただ行って金を払えばいい。以上。きょうは人生ではじめて税務署に電話をしたという日だった。