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今日は月曜日。(週のはじまり)
回復を期待したウツっぽさが継続している。
労の環境にいくと頭に霧がかかる。(認知的視力?がない)
まともに振る舞えていたかわからない。
先週と今とではこころの防御力が違いすぎる。
今、ほぼ無防備なので攻撃を食らう余裕がない。
パンチが当たらない距離を常に保つように身を御す必要がある。
元から小心者だが、よりいっそうそうなった。
自分ごとながら以前の自分の気持ちはよくわからない。
自分でさえそうだ。
人の気持ちがわかるなどというのは単なる言葉のあやなのではないか。(あるとすればその人は心的領域の時空を行き来する能力がある)(そういう人もひょっとしたらいるのかもしれない)(僕はそうではない)
気分の変調というのは興味深いところがある。
憂うつだが奇妙に落ち着ちついて、あきらめのようなすがすがしさを感じたり、かと思えば、外部の刺激が飽和して、何もわからなくなって、世界がとげとげしくなったりする。(電車の乗り換えのとき、四方からくる人の流れを読むのに苦労する)(ぶつかる程ではない)
こういう不調の入口にいることはめずらしい。
今のうちにこういうことを書いておくのはおもしろいかもしれない。
頭に霧がかかるというのは考えようとすると、考えてわかるようになると期待するモノが1メートル先にあるとして、10センチまでのところで視界がなくなるみたいなことだ。(かなり大げさに言っているかもしれない)
あれもっと見えるはずなのにおかしいなという感じになる。
バカの壁というよりは、リミッターがかかっている感じに似ている。
越えようとして力を入れると壊しそうだからそっと弱めるのがよい。
ウツ=リミッター説というものがある。負荷がそれ以上かかることのないように身体がブレーキをかけるらしい。
それがウツの必要性だという。
そうだとすると、人体(広い意味では生命体)の不思議を感じる。(「感じる」を多用している)
まあしかし、僕は軽症なはずなので、負荷をかけずに過ごしていれば復調するだろう。
ウツ自体は絶対的悪というほどのものでもない。
破壊的なのは二次被害の方だ。
ウツ状態を否認して、「健常」時の行動を取り戻そうとがんばるといけない。
オイルが切れて、オーバーヒートしつつあるエンジンをさらに回せば、やがて焼け付いて回転が止まる。(こういうたとえが適切かどうかは知らないが)
正常であれ、あるいはまともであれ、といい、人を追い込むのはいけない。
そういうのはかつてあったし今もあるだろう。
自分はそういうことをしないようにしたい。