masatoの日記

やっていきます

ほぼ家具がない部屋に住んでいるという話をまたする。家具がないんだけど、前は何があったのか?というとパッと思い出せない。今なくて、すっきりしている。もともとなくてよかったのじゃないか?という気になる。捨ててしまっても困らないということだろう。もしかしたらいつか困るのかな。モノが少ないと部屋が広くなるのはメリット。実は、部屋がすっきりしすぎるとデメリット、とはいいきれないけど、どうかな?と思うこともある。あまりにもモノがないと、目のやり場がないのだ。視線を受け止めてくれるものがない。僕の部屋にはテレビがもともとないから、これだと本当に部屋の中にはなにも見る物がなくなる。結果、所在なげに部屋にたたずむことになるだろう。それはいいことなのか。部屋から飛び出したい気持ちになりそう。あるいは、部屋にいてもおちつけない。そういうわけで、落ち着ける部屋のためには、一定量のモノがいるのではないかと思っている。

きのうおとついと雨がつづいての今日、晴れてよかった。近所を自転車でぷらぷらして、青空が気持ちよかった。ただ、風が強すぎて、寒かったが。ふつうの風景が貴重に感じられるということを経験している。何事も期限が切られた瞬間、有限性が実感せられてくるということがあるのだなという感じ。これはこれで良いと思う。永遠につづくような感覚がどことなくあって、日常のありがたさに不感症気味なところがあった。本当はありがたいことなんだけど、ありふれているばかりにそのありがたみが感じられにくくなるということはよくある。自覚できないうちにだんだんと有り難くなくなっていくのでコントロールが難しい。頭でどうこうするというのはうまくいかなくて、身体のレベルでガツンとありがたさがしみついている必要がある。それはたぶん辛い経験をすると沁みる。人生はむずかしい。

知り合いの方から桜満開情報をいただいた。今週末、枝垂れ桜が満開とのこと。来週はソメイヨシノ。春だ。