土曜日
数年ぶりに鬼ごっこをした。人とよく話して、酒を飲んでラーメンを食べた土曜日。
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『絶望名人カフカの人生論』は、あのフランツ・カフカのネガティブな名言をあつめた本だ。そのブレることなく徹底してネガティブでありつづける姿勢は、常人にはまねできない。
たとえば、こういうことを言っている。
将来にむかって歩くことは僕にはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
一見してユーモラス。かわいらしささえ感じさせる。そして、この本の効能は、カフカの言葉に触れることで、自分のネガティブさの相対的な軽さに気づくことで、心が軽くなるというもの。だが、もしカフカが本当の本心でこう発していたとしたら、この言葉はおそろしいものであるはず。それは、本当の絶望を呼び起こすトリガーとして作用するかもしれない。
同じ著者(頭木 弘樹さん)による別の本『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を読んでみたら、超リア充なゲーテの言葉との比較から、カフカ単体を読んでいるときにはみえていなかった闇が浮かび上がってきた。
カフカと「わたし」との絶望くらべでは、カフカの圧勝だから「アハハ」ですむ。だが、ゲーテ対カフカだと、わたしはカフカよりなので、むしろカフカに共感して、彼の言葉にこめられてリアルな絶望がみえてきてしまうようだ。「アハハ」どころではない。
- 作者: フランツ・カフカ,ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ,頭木弘樹
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2014/04/23
- メディア: 単行本
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『中動態の世界』を読んでいる
きのうの夜、「ラーメンを食べる」というアイデアが浮かんだ。でも深夜だったので、あすにしようと自制した。できょうの昼食はラーメンにした。そうしたら、あすもラーメンが食べたくなっている。ラーメンの中毒性かなり強い。
さて、『中動態の世界』を読み進めた。「『する』と『される』では説明できないこと」について説明されている。これを読むと、普段「能動的」とか「受動的」とか言われていることの意味が、本来意図されている(はずの)意味とはズレていることがわかる。その「ズレ」が描き出されている。
本書を読むことで世の中のもやっと現象について理解が深まりそう。(たとえば「自主性を要求する」という矛盾とか)
たくさんの哲学者を参照している本でもある。たとえばフーコーの権力論がとてもわかりやすく紹介されていた。だいたい哲学書は難しいので、理解できたためしがなかったが、わかった気になれた。本書は、全体的にわかりやすい言葉で書かれていて、丁寧に論が組み立てられている。だから途中難しいところもあるが、じりじりと読んでいけば追っかけていける本。
今週のお題「2018年の抱負」
今週のお題「2018年の抱負」
今年の抱負みたいなもの。
やっていきたいこと
インプットを増やす
手を動かす
身体を動かす
もうちょっと詳しく設定してみる。
1.インプットを増やす
最近あまり本を読めてない感があるので今年は増やせるといいなーと思う。
本を読むと自分の考え・視点を拡げてくれそう。
でも、頑張ってまで本読まなくてもいいかなーとも思う。
「読書=善きこと」っていう見方に抵抗があって、「読むべき」だから読書するのではなく、「おもしろいから」読書するのだというスタイルに傾いていきたい。
この理由は、競争心を読書に持ち込みたくないから、ということになると思う。
読書の動機として、「知りたい、賢くなりたい」という欲求があるけど、ここに競争がからむと、本を読むことがめんどくさい行為に成り下がる。競争がめんどくさいからなんだけど。
読書をする理由は人それぞれで、抱えている課題はバラバラなわけで、誰がどれだけたくさんとか、よりよく読めたとかいうのを競うのはナンセンスだ。競いたがるのは、優越感に浸りたいという心理だと思っている。読書行為がマウンティングの手段になってしまうのはなんだかなー。
人の事みたいにこう書いているけど、こういうことが気になるのはそもそも自分に心当たりがあるから、ということも忘れないでおきたい。
2.手を動かす
インプットしたことを実際にやろう、ということ。 知識を持ってるだけじゃモノは作れない。 実際にやらないと自分にとっての課題が明らかにならないので、やるしかない。
3.身体を動かす
最近運動していないので、適度に鍛えていきたい。 筋肉量がへってきたせいか、肩こりがでてきた。 ほどほどに身体ができていると、全体的に体調がよくなるし、ってことは機嫌良く過ごせる場合がふえるわけで、適度に定期的に運動していきたい。
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あけましておめでとうございます。 年末年始、実家とか親戚のうちとかでずっと過ごしている。 ひとり暮らしの普段とは別のモードになっている。
いとこがPS4をもってて、マインクラフトを一緒にやった。というか、遊び方を教えてもらった。家をつくろうとして、壁が一面の半分くらいできたところで、いとこは立派な家を完成させていた。とても上手い。
マイクラは一時間くらいやって満足。
歳を取るとゲームやるのがしんどいんだけど、どういう理屈なのか。テレビに映った平面画像を脳内で3次元に展開しつつ、希望の動作を実行できるようにコントローラーを操作する活動が大変だと感じる。
2次元のゲームならもっとやりたい。ドラクエとかFFとか先祖帰り的に2D化してほしい。ただ、Switchでゼルダの伝説がすごくヒットしている(した)らしく、そのプレーヤーにはおともも相当含まれていたそうだから、2Dゲームへの憧憬というのはさほど普遍的ではない。3Dのゲームを楽しめるおとなが大勢いるわけだ。3Dがしんどいというのは、年齢よりむしろ個人問題かもしれん。
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天気がよくて、寒くて、冬っぽい日だった。
深夜に散歩したら、隣のお寺に灯りがついていた。5年住んでいて初めて気がついたことだ。
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土曜日だと思って休日のペースで過ごしていたら、11時すぎ、きょうは金曜日だと気がついた。仕事すっぽかしたと焦ったが、会社は金曜日から休業だとわかってほっとした。きのう退社したとき、同僚が仕事納め感を出していたので、真に受けて、何も考えず翌日の今日は仕事がないものと思っていたのだ。まあ、のんき。
そんなわけで、きょうは正月の準備をちょっとした。酒屋さんで1升と750mlを一本ずつ仕入れた。でも親戚のおじさんも飲むからこれでは足りないかもしれない。とはいえ2升もっていくのはやり過ぎか思う。飲みきれなくても全然問題ないわけだが。
それで、近所の和菓子屋さんの近くを歩いていると、お米のいい匂いがした。つきたての餅を取り出して店頭に並べているところだった。年末感があってよい風情。並べられた餅はまだ湯気を出していて、おいしそうだった。
そのあとお昼、先週取り寄せしていたモノを引き取りにお店に行き、お店の人と少し立ち話をした。ショップは年末年始もほとんど営業していて、正月休みは二日しかないそうだ。あるデパートとかモールは、元旦から営業しているのだ。お客さんも大勢来るらしい。「他に行くところがないんですよ」という。福袋目当ての人もいるらしい。わざわざ混んでいるところにくるのは大変そうと思ってしまうが、そこに楽しみを感じる人もきっといるのだ。
今年の振り返り。今年は人との縁にめぐまれた年だった。日常的に人と会話する習慣ができたのは、ここ数年来の出来事であり、わたしにとって大きな変化だった。人を避ける習慣が身についた人間は、ふたたび人と交わろうとするときにどうしてよいかがわからない。そんな人間を、わらわずに相手にしてくれる方々であったのが、よかった。そうでなければ、互いがおもしろいと思えるような関係にはならなかった。
おかげさまで少しは自分を表現できるようになった気がする。ニートで有名なphaさんの著書で印象に残っている言葉があって、正確におぼえていないので、ちょっと(けっこう)ちがってる可能性があるのだけど、こんなことを書いていた。「自分の変態的なところはどんどん出していった方がいい」と。あるいは、「変態的なところ」は「弱みみたいなところ」だったかもしれない。ようするに、一般に世間に言いにくいようなことは、むしろ積極的にオープンにしていった方が人生楽しいよ、というメッセージだった。これは、Twitterの文脈で語られていた言葉なので、日常のコミュニケーションで変態性を積極的に出す方がいい、ということとはちょっと別だ。だけど、ネットだろうがリアルだろうが、とりつくろってしまうのが多くの場合デフォルトである方々において、「本当の」ところを表現していこうよ、そっちのほうが楽しいよというのは共通していると思う。本心じゃないと心が動かないからな。
ひとつ言うとすれば、はじめは自分の弱いところを上手にさらすことはできないと思う。本当の劣等感の核は、自分から出せたりしない。だから、どうしても環境の助けを借りる必要があるわけで、その意味でひととの交流は欠かせない。「弱みをさらせるようになった方が人生豊かになる」というのは、結果であって、原因ではない。その意味でこのメッセージは希望を抱かせるものではあるが、具体策については何も与えていないといえる。具体策を示してもあまり意味がないかもしれない。それは、人によって違うだろうから。「こうすればOK」というのはたぶんない。つまり、自分で試行錯誤するしかない。それは、大変で不安なことだけど、結果、自分で大切なものををつかんでいく感覚が得られるわけだ。つまりそれが自信と呼ばれるものではないか。
以上、振り返り。
来年は、もっと素直になりたい。どんどん流されていきたい。